古写真 7人の侍は誰? 旧福岡藩士、米留学に持参か

西日本新聞 社会面

7人の武士が写った謎の写真。右下に「548 BANNING ST. LOS ANGELES.CAL.」などの刻印がある 拡大

7人の武士が写った謎の写真。右下に「548 BANNING ST. LOS ANGELES.CAL.」などの刻印がある

7人の武士が写った謎の写真

 「家に伝わる古い写真の人物を調べてほしい」。神奈川県在住の男性(82)から、そんな依頼が寄せられた。写っているのは7人の武士。写真についての記録や伝承はないが、男性は幕末の福岡藩の勤皇派家老、加藤司書の家来の末裔(まつえい)であり、同藩出身で三井財閥を率いた団琢磨の縁者でもある。もしかしたらとんでもないお宝写真かもしれない。期待を胸に調べてみた。

 武士たちが帯刀しているから江戸時代の写真だろう。写真は、幕末に米国のペリーが来航してから日本でも撮られるようになった。印画紙へのプリントは1858年以降とされる。幕末の古写真なら、長崎大付属図書館のコレクションが有名だ。だが、同じ写真は所蔵していないという。元館長で古写真に詳しい姫野順一長崎外国語大特任教授は「同じ人物、同じ場所の写真も見たことがない。謎だらけ」と語る。

 手がかりとなりそうなのが、写真の台紙だ。うっすらと米国ロサンゼルスの住所が刻印されている。米国で撮影されたものなのか?

 東京都写真美術館の三井圭司さんは、これには否定的だ。「撮影技術の未熟さなどから幕末に国内で撮られた可能性が大きい」。印画紙が明治10年代の1880年代のものであることから、撮影時期と、プリントの時期が異なると推理。(1)国内で撮影した後、フィルムに相当する湿板を米国へ運んでプリントした(2)国内で撮影し、輸入した印画紙に国内でプリントした-という二つの可能性を挙げ、(1)が有力とする。

 この推理を支えるのが、幕末から明治にかけての留学生の存在だ。

 1871年から78年まで米国留学した団琢磨をはじめ、幕末から明治にかけて多くの福岡藩士、旧藩士が藩主家の黒田家の支援で渡米、渡欧している。福岡市博物館で幕末維新期を担当する野島義敬さんは「黒田家に近いコミュニティーにいた人物が関係している可能性がある」とみる。

 被写体本人か近い人物が米国留学の際、写真の湿板を持参し、現地でプリントして持ち帰った-持ち主の男性が元留学生の一人、団琢磨の親類であるだけに、そんなストーリーが考えられるだろう。謎の写真は、廃藩置県後も続いた旧福岡藩士のつながりの強さを示しているのかもしれない。

 男性の家には写真中央の人物を基にしたらしい烏帽子(えぼし)姿の肖像画も残っている。しかし、幕末の福岡藩士に詳しい作家の大林憲司さん=北九州市八幡西区=によると、着物の「庵(いおり)紋」系統の紋は、幕末の福岡藩上層部の人物に該当しない。男性の曽祖父で団琢磨の養父の尚静も紋が違う。

 野島さんは「福岡藩の人間関係を知るうえでの貴重な手がかりとなるかもしれない。武士たちの名前が分かればありがたい」と情報提供を呼びかけている。

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