活劇の炎とハイジ 大串 誠寿

西日本新聞 オピニオン面

 先週の拙稿で触れたが「機動戦士ガンダム」の富野由悠季(よしゆき)監督と「風の谷のナウシカ」の宮崎駿監督は、ともに1941年生まれだ。物心つく頃、太平洋戦争が終わった。

 両氏が学齢期を過ごした戦後の時期、軍艦や戦闘機のイラストが少年雑誌に満ちあふれていた。

 富野氏は9歳の頃、戦艦を巧みに模写している。父は旧日本軍関連の軍需工場に勤務し、高高度の飛行に耐える宇宙服に近い与圧服を開発した。少年時代、日々この与圧服の写真を見て過ごしたという。これらは福岡市美術館で開催中の企画展「富野由悠季の世界」で展示されており、富野氏の問題意識の形成過程をリアルに伝える。

 宮崎氏の父は「宮崎航空機製作所」の経営者として軍需産業に携わり、一家は飢えを知らずに過ごした。宮崎氏も9歳の頃に、さまざまな空想的兵器が登場する雑誌連載「沙漠の魔王」に熱中したと語っており、後年の創作に大きな影響を受けたとされる。

 作品としてヒューマニズムや平和を訴えながらも、両氏の作品は兵器をリアルに描く。その量感やスピード感は、両氏の娯楽作品の魅力として重要な一部をなす。スリリングな弾丸の躍動と、命中した瞬間の炸(さく)裂は、生命の尊厳をうたったメッセージとは裏腹の危うい快感を伝える。

 最近は家庭教師派遣会社のCMで目にする、テレビアニメ「アルプスの少女ハイジ」をご存じだろう。日常を淡々と描く作風で、迷子になったヤギを捜したり、乳からチーズを作ったりする。砲撃などの活劇要素を全く含まないが、万人が納得する娯楽性をもつ。これを演出したのは、富野、宮崎両氏が共に崇敬してやまない高畑勲監督だ。

 高畑氏は富野、宮崎両氏の作風と対照的に、一貫して活劇によらない作品を作り続けた。アニメの身上である躍動感の表現を極力封印し、地味な生活描写を大切にした。

 高畑氏は35年の生まれ。富野、宮崎両氏よりも六つ年上だ。そして9歳の夏に岡山で空襲を体験した。

 私は、この9歳時の体験の違いが、富野、宮崎両氏と高畑氏の作風を分かつ遠因となったと考える。前者は兵器を書物から理解し、後者は体験から理解して思想を深めた。

 高畑氏の後年の代表作「火垂るの墓」には、同氏の作品としては例外的に兵器の描写が登場する。しかしその炎の炸裂に視覚的快感はない。

 高畑氏は娯楽として世にあふれる活劇の炎をどう見ていたのだろう。昨年、惜しまれつつ世を去った。
 (デザイン部次長)

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