あのエース、今は審判に

西日本新聞 オピニオン面

 夏の高校野球大会も熱戦たけなわである。

 私も36年前、甲子園で取材したことがある。新聞社には、新人記者に高校野球の地方大会を担当させ、代表校が甲子園に行くと同行させて応援取材をさせる慣行がある。若い記者たちの担当校への思い入れは強く、勝ち進んでいる間は験を担いでシャツを洗わない記者もいるほどだ。

 私もその例で1983年夏、山口県代表の甲子園出場に同行した。当時のことがふと懐かしくなり、担当校のエースが今どうしているか調べてみると、ちょっと意外な消息が分かった。

 かつて甲子園を沸かせたエースは、プロ野球の審判になっていた。

   ◇    ◇

 秋村謙宏(のりひろ)さん。53歳。日本野球機構(NPB)の審判員である。

 山口県・宇部商の投手として82年夏、83年春、夏と甲子園に出場した。2年生の夏と3年の春は初戦で敗退したが、3年夏はベスト8に進出。水野雄仁(かつひと)さん(池田高-巨人)らとともに、同世代の高校野球を代表する速球投手だった。

 法政大に進学し大学野球で活躍。社会人野球の日本石油を経てプロ入りし、広島と日本ハムに在籍した。プロ8年間の通算成績は9勝11敗3セーブだ。

 97年を最後に引退し、99年にプロ野球の審判員に採用された。すでに審判として21年目となる。

 その秋村さんと、試合前の球場で会った。高校時代は「鼻っ柱の強いエース」の印象だったが、柔和な笑顔で迎えてくれた。

 -甲子園といえば思い出すのは?

 「2年生の夏の初戦。九回まで勝っていたんですけど、マウンドですり鉢状のスタンドから来るお客さんの声援に、すごい圧力を感じた。それで逆転負けしたとは言いませんが…」

 -プロ引退後、なぜ審判の道を選んだのですか。

 「プロを辞めた時は『野球はもういいかな』と思ったんです。でも故郷の宇部に帰って1年もすると『野球に関わる仕事に戻りたいな』と考えるようになった。その一つが審判だった。たまたま審判員に欠員が出たこともあり、試験も兼ねてキャンプに参加したのがきっかけです」

 -注目を浴びる投手から、支える側の審判に転身。葛藤もあったのでは?

 「ないことはなかったけど…割り切ってしっかりやらないと。審判がいないと野球は成り立ちませんから。ゲームコントロールとか、選手とは違う野球の見方が面白いですね」

 2006年にパ・リーグ審判員奨励賞を受けるなど、技量への評価は高い。

   ◇    ◇

 事前にこの取材についてスポーツ担当記者に話したところ「永田さん、高校野球を担当したんですか…。意外ですね」と言われた。

 確かに現在の私が「白球」「青春」などの単語と程遠いことは自覚している。しかし「人生」ということなら、少しばかり私の出番もあるだろう。

 取材の最後、秋村さんに「もし野球をしていなかったら、と考えたことがありますか」と聞いた。

 「うーん、ないですねー。野球があったから自分がある。野球には感謝しています」と答えてくれた。

 球場からの帰り道、見上げると青空が広がっていた。野球の似合う青空が。
 (特別論説委員)

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