近隣住民証言うのみ「誤り」 大崎事件再審取り消し 元東京高裁判事・門野博氏に聞く 

西日本新聞 オピニオン面

 鹿児島県大崎町で1979年に男性の変死体が見つかった大崎事件で、懲役10年が確定し服役した原口アヤ子さん(92)の再審開始を取り消した6月の最高裁決定に対し、全国の弁護士会や刑事法学者などから抗議声明が相次いでいる。鹿児島地裁と福岡高裁宮崎支部の再審開始の判断を取り消し、高裁に差し戻すこともなく請求を自ら棄却した「異例の決定」のどこが問題なのか。元東京高裁部総括判事の門野博氏に聞いた。 

 -最高裁決定は、再審開始を認めた地裁と高裁の判断を「著しく正義に反する」として取り消した。どう受け止めているか。

 「特別抗告の理由(憲法違反や判例違反)がないにもかかわらず、職権で地裁、高裁の判断を取り消したことは理解に苦しむ。『著しく正義に反する』というのは、無実の者が冤罪(えんざい)に苦しんでいるような、放置できない人権侵害があるような場合を指す」

 「これまではそのように運用されてきたのに、いつから裁判の権威や検察のメンツを擁護するものに変質したのか。判断内容も、納得のいかない独善的なものばかりだ。新証拠の明白性に関して(最高裁判例である1975年の)白鳥決定以来、多くの再審事件で定着しつつあった(新旧全証拠の)『総合評価の在り方』を根底から壊すものといわざるを得ない」

 -高裁、地裁が再審開始を認めた新証拠は、吉田法医学鑑定と、「共謀の現場を見た」とする義弟の妻の目撃供述を心理学の見地から分析した大橋・高木鑑定だったが、最高裁は両鑑定を退けた。

 「吉田鑑定は、男性の死因と死亡時期という重要な事実を推定する上で最も重要な証拠だった。しかも、最高裁自身が『条件が制約された中で工夫を重ねて専門的知見に基づく判断を示しており、死因に関し、科学的推論に基づく一つの仮説的見解を示すものとして尊重すべきだ』と評価している。事実認定においては、このような科学的な客観証拠は不可欠だ」

 -吉田鑑定は、男性の死因を元夫らの自白と矛盾しない窒息死ではなく、出血性ショック死の可能性があるとしていた。

 「ところが、本決定は吉田鑑定の問題点ばかりを拾い上げてハードルを高め、門前払いにした。そこに盛り込まれた有益な情報を一切取り上げようとしなかった。大橋・高木鑑定についても同様で、その中身を検討しようともせずに門前払いにし供述心理学の成果を全く無にしてしまった。どちらの判断も、無実の者を何とか救済しようとする姿勢を甚だしく欠くものだ」

 ■自白の評価は「独善的」

 -確定判決を支える証拠の柱は「共謀して殺害し、遺体を遺棄した」と認めた元夫や義弟らの自白と、「共謀の現場を見た」とする義弟の妻の目撃供述だ。これらの自白や供述の信用性は、これまでの裁判で何度も否定されていたのに、最高裁は「信用性は強固」と正反対の見方をした。

 「彼らは共犯者とされた者であり、一般的に共犯者の供述は無関係の第三者を巻き込む危険があるとされている。最高裁自身が過去の判決の中で繰り返し警鐘を鳴らしてきた。その上、彼らにはいずれも知的障害があった。その供述の信用性はとりわけ慎重に検討されなければならなかった」

 「彼らの供述は当初から変転し、まことに空疎で曖昧模糊(もこ)としたものだった。捜査官らは元夫、義弟らを犯人と決めつけ厳しく追及して自白を得たが、自白は捜査官の見立てに連動して『2人犯行説』から、『3人犯行説』へ、最後は『4人犯行説』へと変遷した」

 「義弟の妻の目撃供述も極めて空疎であり、共犯とされた義弟やその息子の母や妻として、2人を有利にするために心ならずも原口さんを巻き込んだと考えれば納得がゆく。現実にこれまで再審開始を支持した多くの裁判体、裁判官は、いずれもこれらの供述に強い疑いを抱いた。『信用性は強固』などという最高裁の判断は、極めて独善的である」

 -遺体で見つかる前、男性は酔って自転車ごと側溝に転落していた。その男性を自宅まで送り届けた近隣住民のIとTの供述についても高裁は疑問視していたが、最高裁は信用性を認めた。

 「最高裁決定は、この2人がうそを言うはずがないと決めつけながら、その実質的な根拠をほとんど示していない。しかし2人の供述は、男性が歩いて男性方に入ったのか、自ら歩くことができずにIらに担ぎ込まれたのかという点など、重要な点に顕著な食い違いが見られる」

 「ほかにも、Iが男性の遺体が発見される前から男性が牛小屋の堆肥に埋まっていることを知っていたかのような、不可解な言動をしていたという証拠もある。このような2人の供述をうのみにし、それを頼りに有罪判断をした最高裁決定は致命的な誤りを犯したと言える」

 ■荒唐無稽なストーリー

 -高裁は、事件ではなく事故死の可能性を指摘した。検察が論告で描いた「保険金目的の殺人事件」というストーリーは荒唐無稽だったのではないか。

 「そもそも原口さんらには男性を殺さなければならない動機も、殺害を可能とするシチュエーションも全くなかった。保険金目的というストーリーは早くに崩れ去るが、それでも捜査側は殺人事件という見立てに固執し続けた」

 「酔って側溝に転落していた男性は身体に大きなダメージを受けていた。本件が事故死である可能性は極めて大である。しかも事件が起きたとされる日は親族のめでたい結婚式の当日。唐突に男性に殺意を抱き、しこたま酒を飲んで寝ていた元夫や義弟をわざわざ起こし、また、この2人がすぐにそれに応じ、実弟殺しを実行するなどということがあり得るだろうか。検察のストーリーは、明らかに荒唐無稽だった」

 -今回の最高裁決定が、今後の再審事件に与える影響をどう考えるか。下級審の判断を萎縮させるという見方もある。

 「本決定は、白鳥決定以来築き上げられてきた『疑わしきは被告人の利益に』との鉄則を崩壊させる判断であり、異例中の異例である。これからの下級審裁判所の判断に一抹の暗い影を落とすことは否定できないが、再審事件であれ、それ以外の事件であれ、これまで築かれた刑事裁判の基本に立ち返って、萎縮することなく判断することこそが肝要だ。下級審の裁判官にはそれを期待したい」

 ▼かどの・ひろし 1970年に裁判官に任官。東京高裁の裁判長時代には、布川事件の再審開始を認めた水戸地裁土浦支部決定を即時抗告審で支持。東京電力女性社員殺害事件の再審請求審では検察に証拠開示を促した。いずれも後に再審無罪が確定した。2010年に退官後、法政大法科大学院教授を経て弁護士。近著に「白熱・刑事事実認定-冤罪(えんざい)防止のハンドブック」。

 ▼大崎事件 1979年10月、鹿児島県大崎町で農業の男性=当時(42)=の遺体が自宅横の牛小屋で見つかった。義姉の原口アヤ子さんが元夫(男性の長兄)、義弟(同次兄)と共謀して男性を殺害し、義弟の息子を加えた計4人で遺体を遺棄したとして起訴された。原口さんは一貫して否認したが、確定審では①共犯者とされた元夫ら3人の「自白」②自白と矛盾しない法医学鑑定③義弟の妻の目撃供述-などを主な証拠として81年に懲役10年が確定した。満期服役後の95年に第1次再審請求。鹿児島地裁が2002年に再審開始を決定したが、福岡高裁宮崎支部が取り消し、第2次請求も退けられた。第3次請求で地裁、高裁宮崎支部が再審開始を認めていた。

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