「今ある命、どう生きるか」 無言館館主が別府市で講演

 太平洋戦争に出征し、志半ばで亡くなった画学生らの絵を集めた長野県上田市の戦没画学生慰霊美術館「無言館」。館主を務める窪島誠一郎さん(77)が今月、別府市で講演した。「反戦、平和の尊さを伝えないといけないが、もっと伝えるべきことは、今ある命をどう生きるかだ」。窪島さんは自身にも、会場にもそう問いかけた。

 無言館は1997年に開館。「放っておけば彼らの絵はこの地球上から消えてしまう」と、戦没画学生の遺作を集めていた福岡県飯塚市出身の画家、野見山暁治さん(98)と二十数年前に出会い、二人三脚で全国を歩き回った。現在は130人、177点の作品を展示している。

 講演「無言館のこと~一冊の画集に出会って」で窪島さんは、絵にまつわるさまざまなエピソードを紹介した。鹿児島県種子島出身の日高安典さんはフィリピン・ルソン島で戦死。27歳だった。最後まで描き続けたのが恋人の絵。小さな乳房を少し持ち上げ、じっと前方を見つめている絵の裏側には「小生は必ず生きて帰ります。あなたを描くために」と記されてあった。無言館の一番奥に飾っているのは、千葉県出身の男性が、出征前にかわいがってくれた祖母を描いた絵。祖母は「天皇陛下さんに叱られてもいいから必ず帰っておいで」と送り出したという。男性は終戦のわずか1カ月前、フィリピン・レイテ島で戦死した。享年22。

 プロポーズされた20代の男性から戦地に赴く前に「自分の代わり」と渡された水彩画を窪島さんに預けた山口県の女性、家族の反対を押し切って絵の道に進んだ弟に家族に内緒で戦地へ絵の具を送り続けた姉-。戦争に翻弄(ほんろう)されてきた人々の物語に会場の約400人は静まり返った。

 東日本大震災からちょうど1年がたった2012年3月、窪島さんは被災地の宮城県石巻市で、東北出身の画学生の絵を集めた展覧会を開いた。東京育ちの窪島さんが疎開した石巻に恩返しをしたいと考えたからだ。「被災者の励みになるだろうか」。そんな不安をよそに、わずか1カ月で約1700人が来場した。その中に、水産加工業の男性がいた。男性は娘が流されて亡くなり、両親も流され行方不明。家も工場も流された。絵を見た男性は窪島さんに深々と頭を下げて「生きていく気になりました」と話したという。

 「画学生は国の命令によって津波という戦争に向かって歩かされ、高台に逃げるのを許されなかった。こんな不条理があっていいのか。男性も同じ思いだったと思う。でも画学生の絵は男性にきっとこう呼び掛けたのです。『僕たちは絵しか残せなかった。でもあなたには今日という日があるじゃないですか。生きていてください』と」

 突然の災害で大切な人を失った遺族らに対する画学生の声なき声を代弁した窪島さん。自身も、男性の決意を聞き「自分の仕事に新しい明かりが付いた気がした」と語った。 

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