中村研一、戦前の4作品発見 仏滞在期の入選絵画も 9月、宗像の生家で一部公開

西日本新聞 社会面

福岡県宗像市の生家美術館に寄贈された「澄川みちの(志づ)肖像画」と、研一のおいの中村嘉彦さん 拡大

福岡県宗像市の生家美術館に寄贈された「澄川みちの(志づ)肖像画」と、研一のおいの中村嘉彦さん

1928年にサロン・ドートンヌに出品され、このほど所在が分かった「魚つり」

 福岡県宗像市出身で昭和の洋画界の重鎮だった中村研一(1895~1967)の戦前の作品が次々に見つかっている。フランス留学中に現地展覧会で入選し、所在が分からなかった作品も。終戦間際の空襲でアトリエが焼け、失われた作品も多いことから、親族は「よくぞ無事でいてくれた」と感慨深げだ。

 研一は祖父母の住む宗像市で育ち、県立中学修猷館(現修猷館高校)を経て東京美術学校(現東京芸術大)に進んだ。フランス留学を経て洋画壇で活躍。戦時中は戦争画の名作といわれる「コタ・バル」などを描き、戦後は日展で審査員、常務理事などを務めた。

 今回見つかったのは、研一が留学前の1917(大正6)年に叔母を描いた油彩「澄川みちの(志づ)肖像画」。母の親族方で押し入れに保管されていたのを今年3月、研一の生家美術館(宗像市原町)に寄贈された。絵の具が一部はがれ、木材が反っていたが、修復すると穏やかな表情の年配女性の姿が現れた。

 さらに研一の父・啓二郎の親友だった吉田良春氏(宗像市出身)の親族が、研一の絵3点を保管していることが6月に分かった。うち1点は研一がフランス留学中の27(昭和2)年に現地のサロンで初入選した「魚つり」。研一のおいで生家美術館館長の中村嘉彦さん(78)によると、「仲人をしてもらった吉田さんに所望されて、しぶしぶ手放したものではないか」という。

 東京の研一のアトリエにあった約2千点の作品は終戦直前の空襲で焼け、今回見つかった絵も焼失したと思われてきた。嘉彦さんは「寄贈されたおかげで、奇跡的に残った絵。近いうちに公開できるよう準備を進めたい」と話している。

 研一の作品に詳しい福岡県立美術館の高山百合学芸員は「研一は肖像画の名手として知られ、特徴をとらえて30分ぐらいで描いたという。フランス時代の絵は、研一の画風がガラッと変わった時期でもあり、貴重な作品」と話す。

 生家美術館では9月から、肖像画の展示を始める。同美術館=0940(36)7632。

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