水俣市長は幻のモスクワ五輪目指した元競泳選手 聖火リレーに熱い期待 

西日本新聞 熊本版

 開幕まで1年を切った2020年東京五輪。来年3月26日から全国を巡る聖火リレーのルートに選ばれた県内13市町村の一つ、水俣市の高岡利治市長(61)は競泳選手だった学生時代、五輪出場に手が届きかけたが、政治に翻弄(ほんろう)され夢を絶たれた経験を持つ。「私のような思いは二度としてほしくない。聖火リレーが、子どもたちの夢のきっかけになればうれしい」。元アスリートとして、聖火が走る瞬間を待ちわびる。 

 小学5年で水泳を始めた高岡氏は鎮西高2年の時、国体の200メートルリレーで当時の高校日本新記録をマーク。1977年に日体大に進学後、全日本選手権の200メートル個人メドレーで3位に入った。

 「頑張れば五輪に出られるかもしれない」。3年後のモスクワ五輪出場を目標に定め、毎日1万メートル以上を泳いだ。80年4月、全日本室内選手権で上位入賞し、同6月に予定されていた五輪代表の最終選考レースへの切符をつかんだ。競技人生の集大成として、つらい練習にも耐えていた。

 だがその頃、日本政府は日本オリンピック委員会(JOC)に大会ボイコットの最終方針を伝えていた。79年末の旧ソ連によるアフガニスタン侵攻に抗議するため、米国の要請に応じたのだ。5月にJOCも不参加を決定し、高岡氏が出る予定だった最終選考レースは中止に。「試合自体がなくなり、何のためにやってきたのかと思って、気持ちが切れてしまった」

 当時、競泳選手のピークは20歳といわれ、大学卒業後も競技を続ける選手はまれだったという。高岡氏は向上心や練習への情熱を失い、指導者の道へ。一方、不参加決定直後に涙ながらに無念さを訴えた柔道の山下泰裕選手=山都町出身=や、レスリングの高田裕司選手は4年後、ロサンゼルス五輪でメダルを取った。

 「きつい練習をまた4年間続けることは、私には無理だった」と高岡氏。今は政治家として、スポーツを通した子どもたちの育成を公約の柱に掲げている。「地方にいても、高いレベルの技術や一流選手のプレー、振る舞いなどを学ぶチャンスをつくってあげたい。子どもたちの活躍は大人の励みにもなる」

 聖火リレーが水俣を走るのは来年5月6日。1人でも多くの子どもが目に焼き付けられるよう、市長として知恵を絞るつもりだ。

熊本県の天気予報

PR

PR

注目のテーマ