「逃げる」は役に立つ

西日本新聞 オピニオン面

 3年前「逃げるは恥だが役に立つ」(TBS系)というドラマがヒットした。職がない女性が恋愛経験ゼロの男性と「仕事として」結婚し、雇用関係を結ぶというラブコメディー。奇抜な設定を生かし、結婚や労働について考えさせてくれるドラマで、出演者による「恋ダンス」も流行した。

 で、ドラマがとっくに終わった今も、私が気になっているのはこのタイトルだ。「逃げるは恥だが役に立つ」-。インパクトのあるメッセージではないか。

   ◇    ◇

 原作の漫画(海野つなみ作)ではタイトルについて単行本の後書きで触れているが、ドラマでは第2話終盤で、主人公の森山みくりに対し、結婚相手の津崎平匡(ひらまさ)がきっちり説明するシーンがある。

 平匡「ハンガリーにこういうことわざがあります。逃げるのは恥だけど、役に立つ」

 みくり「役に立つ…」

 平匡「後ろ向きな選択だっていいじゃないか、恥ずかしい逃げ方だったとしても、生き抜くことの方が大切で、その点においては異論も反論も認めない」

 みくり「逃げるのは恥だけど、役に立つ…」

 平匡「はい」

 みくり「そうですね。逃げても生き抜きましょう」

 ハンガリー語学の専門家にうかがったところ、実際にハンガリーのことわざだそうだ。それほど頻繁に使用される表現ではないが、例えば「酔っぱらいにからまれたとき、相手にしないで逃げた方がいい」などの文脈で使われるという。

 「逃げる」行為は日本社会では否定的に捉えられがちである。しかしこのことわざのように、生きるための大事な選択肢として位置付けることもできるのだ。

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 夏休みが終わりに近づいた。学校に行きたくなくて憂鬱(ゆううつ)になっている子どもたちが、たくさんいることだろう。理由はさまざまだ。いじめ、部活の先生が厳し過ぎる、親の期待に沿えない自分がつらい、学校の人間関係になじめない-。

 しかし「学校に行け」のプレッシャーは大きい。そして、時として「学校に行くか、それとも死ぬか」という危険な二者択一にまで追い詰められてしまう。

 そんなとき、声に出して言ってみてほしい。「逃げるは恥だが役に立つ」

 切羽詰まったら取りあえず逃げる。どこに。自分の部屋、図書館、フリースクール、相談機関…。そこで態勢を立て直し、次にやることを考えればいい。

 「逃げたらダメだ」と大人は言うかもしれない。しかし、津波が来たら誰でも逃げる。銃を持った集団が家に押し入ってきたら誰でも逃げる。まず安全を確保して、次に何をするか考える。それが当然の行動パターンだ。そう考えれば「恥」でもない。災害時に早めに避難すると、むしろ褒められるではないか。

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 実は大人になっても「逃げる」ことが必要な場面がある。過酷な労働環境で働かされ、過労死や自殺に追い込まれる人が後を絶たない。真面目で責任感のある人ほど「逃げる」選択肢を思いつかず、自分を追い込んでしまいがちである。

 だからこそ今のうちに「逃げ方」を練習しておきたいのだ。まずは「逃げるは役に立つ」と、口に出すところから始めればいい。

 (特別論説委員)

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