日系人初の米連邦議員・故ダニエル・イノウエ氏 父の古里、八女にルーツ ハワイの高速道や空港名に

西日本新聞 筑後版

1960年、八女市上陽町を訪れたイノウエ氏(右から4人目)と当時10歳の松崎保元さん(同5人目)=松崎さん提供 拡大

1960年、八女市上陽町を訪れたイノウエ氏(右から4人目)と当時10歳の松崎保元さん(同5人目)=松崎さん提供

「ホタルと石橋の里公園」に植樹されたハナミズキ 日本刀を手にするイノウエ氏(松崎さん提供)

 米ハワイ州のホノルル国際空港の正式名称は「ダニエル・K・イノウエ国際空港」。地元選出の日系上院議員ダニエル・イノウエ氏(1924~2012)の名にちなむ。実は、イノウエ氏のルーツは八女市にある。その人生をひもといた。

 「左手で上手に箸を使っていたことや、プレゼントされた日本刀を感慨深げに眺めていた姿が今も記憶に残っている」。八女市上陽町下横山の農業松崎保元さん(68)は、初めてイノウエ氏と対面した1960年のことを語る。

 松崎さんは当時10歳。またいとこに当たるイノウエ氏が初めて父兵太郎さんの出身地、八女市上陽町に“里帰り”したのだ。

 イノウエ氏は松崎さんの実家を訪れ、井上家の墓に手を合わせた。後に米上院の最古参議員となり、大統領継承順位第3位の「上院仮議長」に選出されたイノウエ氏。松崎さんは当時の写真を眺めながら「最初はどんな人なのか詳しくは知らなかったけど、えらいすごい人になった」と誇らしげに語った。

 イノウエ氏の自伝「ワシントンへの道」などによると、一家渡米のきっかけは1899年、集落内の3軒が焼けた火事だった。井上家が火元とされ、弁償費を稼ぐため、4歳だった兵太郎さんは両親に連れられてハワイのサトウキビ農園に移住。兵太郎さんは現地で日系人女性と結婚し、イノウエ氏が生まれた。

 政治家としての「原点」は17歳のときの真珠湾攻撃にある。自伝で「人生の大きな岐路になった傷心の日々」と振り返り、日本にルーツを持つことへの罪悪感、生まれ育った米国への感謝などが複雑に絡んだ心情をつづっている。ハワイ大に在学していた43年、米陸軍最強といわれた日系人部隊「第442戦闘部隊」に志願入隊。欧州戦線で右腕を失いながら、数多くの戦果を上げた。

 59年、日系人として初めて連邦下院議員に当選。62年には上院議員に転じ、2012年に亡くなるまで連続9回当選を果たした。その間、日系人の地位向上や日米関係の発展に尽力。東日本大震災の被災地に足を運び、八女市などが甚大な被害を受けた12年の九州北部豪雨の際には「お亡くなりになった方々に心からのお悔やみを申し上げる」との声明を出した。

 日本の桐花大綬章など、日米で多くの勲章も受けたイノウエ氏。地元ハワイでは、空港のほか高速道路にもその名が付けられるなど功績は今もたたえられている。

 イノウエ氏はスピーチなどで「幼いころから、祖父や父から日本語で義務と名誉という言葉を教えられた」との話を繰り返ししたという。米陸軍の一員として戦ったのは米国人としての「義務」であり、日本にルーツを持つ者の「義務」として日米友好の懸け橋となるべく生涯を送った。

 15年、八女市上陽町北川内の「ホタルと石橋の里公園」に、日米友好の象徴として米国政府から贈られたハナミズキが植樹された。春になると白いかれんな花が咲く。

 「ダニエルは父親や祖父が生まれた日本や八女のことを思っていてくれていた。そんな郷土の偉人がいたことを後世に伝えていきたい」と松崎さん。地元ではイノウエ氏の銅像建立が検討されているという。

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