まんじゅう製造機、ルーツは福岡 「ご当地名物」支えた城野鉄工所

西日本新聞 もっと九州面

「手はかかるが頑張ってくれる」と、まんじゅうを作る機械への思いを語る永野純一さん 拡大

「手はかかるが頑張ってくれる」と、まんじゅうを作る機械への思いを語る永野純一さん

「キノ式自動製菓機」でつくられる「黄金金生饅頭」=鹿児島県薩摩川内市 機械のプレートに記載された「キノ式自動製菓機」(写真の一部を加工しています) 鹿児島市の山形屋で、機械によってつくられる「金生まんじゅう」 九州の機械式まんじゅう

 デパートの店頭で機械によって形成されて焼き上がるまんじゅうに空腹を覚え、つい買ってしまった、なんて経験は誰でもあるのでは。外がこんがりときつね色になった生地の中にあんが詰まり、頬張れば一口でいけそうなまんじゅうもある。デパート名を冠したり、「都まんじゅう」「ロンドン焼(やき)」と呼んだり、全国各地のご当地名物になっている。その機械のルーツをたどると、福岡県に存在した町工場に行き当たった。

 カチャン、チン、カシッ。鹿児島県薩摩川内市の百貨店「川内山形屋(やまかたや)」の1階。食品売り場に接する店内で、機械がリズミカルな音を立て「黄金金生饅頭(きんせいまんじゅう)」を“手際よく”作っていた。

 巨大な鉄板の上を次々と移動する直径約5センチ、高さ約2センチの金属リングに、生地、白あん、生地が順序よく自動注入される。その後、円形の鉄板の内側で少しずつ回転しながら焼かれる。1周すると機械に備え付けられたアームがリングごとひっくり返す。外側をもう1周すると両面が焼け、別のアームがまんじゅうとリングに分ける。リングは機械が回収し、別のリングが並ぶ。その繰り返しで作られるまんじゅうは、1個当たりの製造時間が数分ほど。まさに合理的だ。

 「季節や天候によって、出来上がりが違うので微妙な調整がいる。こいつ(機械)の“体調”もいつも違う」。店長の永野純一さん(68)が苦笑気味に語る。同県鹿屋市で使われていた中古品を買い、開業して約40年。リングからはみ出した生地は手で取り除く必要がある。構造がシンプルな分、一部の不調が全体に波及することもあるという。「今日はお利口さんだったねぇ」。永野さんと一緒に働く妻多美子さん(65)が、働き者だった機械を見つめ、優しくほほ笑んだ。

 機械の幅は約1・8メートル、奥行き約1・2メートル。最も高いところでは約1・65メートル。「キノ式自動製菓機」とあるプレートの下部には、城野(きの)鉄工所という会社名と、「福岡県粕屋郡古賀町」(現古賀市)と記載された工場の住所があった。

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 「確かにキノ式はうちの製品でした。似た形に仕上がる『唐饅頭』は昔からあったが、自動でできる機械を作ったのはうちが元祖」。城野鉄工所社長だった城野正信さん(70)=福岡市=が、「はっきりとは分からないが」と前置きした上で歴史を話してくれた。

 創業は明治時代にさかのぼる。福岡市博多区住吉で紡績関係の旋盤機械を手掛けていた。第2次世界大戦中は軍事工場となり、空襲を避けるため古賀に移転。福岡市・中洲の路上店でまんじゅう屋も開いていた。戦後になると、博多港に引き揚げた人たちが口にして古里に広めたという。

 終戦前後は、リングの返しや焼き印は手動で行う半自動だったと推測される。店舗は拡大し、独立した従業員に譲渡。東京にも事業所を置き、店頭実演で興味をもった人に作り方込みで機械を販売していった。最盛期には島根と徳島を除く45都道府県で稼働し、台湾など海外にも渡った。

 ところがオイルショックで売り上げは落ち、バブル崩壊が追い打ちをかけた。地域の商店街や百貨店の衰退で受注は激減。2000年ごろに本体製造から撤退し、部品の販売に徹したが2年前に廃業した。

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 現在、類似の機械は愛知県のメーカーが製造している。ただ、後継者不足などで購入した店舗でも廃業は多い。確認できた限りでは、キノ式が現役なのは、九州では黄金金生饅頭と鶴屋饅頭(熊本市)だった。

 城野さんは「(職人が)心を込めてまんじゅうを手作りするように、機械にも血が宿るとの思いで製造してきた。昭和の機械で地方の食文化の一端を担えた」と自らの仕事を振り返る。

 メンテナンスも自ら行う永野さんは以前、なかなか故障が直らなかった際「歯がゆい思いをして重機でうっ壊そうかと思ったこともあった」とか。「自動どころかわっぜ(とても)世話がいる。だけど頑張ってくれるから、自分もまだまだ修業中よ」。親友や恋人を見守るような温かいまなざしをキノ式に向けていた。

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