「犠牲者 私たちだけで」 被爆者の故渡辺千恵子さんスピーチ草稿 長崎総科大に保存

西日本新聞

 長崎原爆に遭って下半身不随になりながらも核廃絶運動の先頭に立った渡辺千恵子さん(1928~93)が、1956年8月9日に長崎市であった「第2回原水爆禁止世界大会」で被爆体験をスピーチした際の草稿がある。筆跡などから直筆とみられ、保管する長崎総合科学大の木永勝也准教授(平和学)は「奇跡的に残っていた貴重な資料。大切にしたい」と話している。

 「みじめなこの姿を見てください」「原爆犠牲者は私たちだけでもうたくさんです」

 63年前の世界大会。被爆者代表として、母親に抱きかかえられてスピーチに臨んだ渡辺さん。涙をこらえて訴えた姿は、大きな反響を呼んだ。

 16歳の時、学徒動員で働いていた三菱電機製作所で被爆。崩れた建物の下敷きになって脊椎を骨折、寝たきりの生活を余儀なくされた。同世代の被爆した女性たちと悩みを分かち合うようになり、性別を超えて若い世代の被爆者たちと連携を深めた。

 世界大会でのスピーチをきっかけに注目を浴び、発信を続けた。国内はもとより、米ニューヨークなど海外へも活動の場を広げた。

 草稿には細かい加筆、修正が何カ所も加えられている。被爆の実相をどんな言葉で、どう伝えるべきか、苦心した様子が浮かぶ。被爆者が外部に体験を語ることが当たり前ではなかった時代。渡辺さんと親交のあった長崎原爆被災者協議会の横山照子副会長(78)は「半身不随の体をさらすことには大きな勇気がいった。これで多くの仲間が勇気づけられたはずだ」と語る。

 渡辺さんの死去後に関係者が保管していた草稿は、行動を共にしていた「原爆青年乙女の会」(1956年発足)の機関誌創刊号などと一緒に2016年に総科大に寄贈された。資料の整理、分析を進める木永准教授は「加筆や修正の痕跡から、本人がどんな表現にこだわり、思いを込めたのが分かる」と指摘。同大主催の学内の展示会で紹介しており、今秋も披露される。 

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