亡き「兄貴」の贈り物 手島 基

西日本新聞 オピニオン面

 「とてつもない壁を残してくれた」。恨んではいない。感謝の念すら込めた声の主は、大牟田高(福岡)柔道部の杉野健次郎監督である。

 高校野球の甲子園のように、高校柔道には「三大大会」と呼ばれる団体戦の全国大会がある。春の全国高校選手権、夏の金鷲旗と全国高校総体(インターハイ)だ。男子は5人制で、選手権と金鷲旗が抜き勝負、インターハイは点取り方式で争う。大牟田高は今年、全て決勝に進出。3回とも国士舘高(東京)に屈した。しかもたった1人、斉藤立(たつる)選手に。大将同士の決戦、代表戦で敗れ、涙をのんだ。

 大牟田高は全国屈指の強豪校ながら三大大会の優勝はない。学園創立100周年の今年は「無冠」返上の好機だった。OBらの支援と協力も得て稽古を重ねた選手たち。攻守で軸が崩れない体幹の強さに厳しい練習の一端を見た。

 それでも頂点に届かなかった。悲願への壁となった斉藤選手は190センチ、160キロ。その体だけでなく、杉野監督が薫陶を受け「兄貴」と慕う故斉藤仁さんの次男という大きな存在だった。

 仁さんは1984年のロサンゼルス、88年のソウル両五輪で金メダル獲得後、母校の国士舘大の監督に就任。その時に主将を務めたのが、大牟田高から進学して4年生になった杉野監督だった。話し合ってはチームをまとめ、個人戦でも国際大会で優勝した。

 「斉藤先生は、体は大きいが、神経が細やか。選手、指導者として新しいことも取り入れながら最善を尽くす粘り強さが忘れられない」。仁さんがコーチだった1年時に右膝を負傷して苦しんだ杉野監督のまぶたには、悪戦苦闘しながらソウル五輪の準備を進めた姿が焼き付いている。

 得意技の内股を仕掛けられないほど満身創痍(そうい)の仁さんは、出稽古で鮮やかな一本背負いを見せた高校生に教えを請うたり、寝技を磨いたりしながら、杉野監督を同行させて治療やリハビリに励んだ。

 93年に大牟田高の監督となってからも、他競技の指導者らの著書を「読んでみろ」と手渡してくれた仁さんは、立選手と度々、大牟田高の道場を訪れている。亡くなる半年前、闘病中の身で「また来るからな」と置いていった柔道着は、今も道場にある。

 「師匠でも先輩でもない、兄貴のようだった。立の国士舘と対戦するまで負けられないという思いが選手を、私を、大牟田高校を強くした。3度はね返され、まだまだ頑張れよ、と言われた。日本一へ挑戦を続ける」と杉野監督。胸が熱くなる夏だった。

 (運動部長)

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