【動画あり】若戸渡船 暮らしと心結ぶ 江戸時代から営々 大橋完成後も日に142便

西日本新聞 もっと九州面

戸畑渡場に接岸した若戸渡船と、赤くライトアップされた若戸大橋 拡大

戸畑渡場に接岸した若戸渡船と、赤くライトアップされた若戸大橋

戸畑渡場から若松渡場に向かう若戸渡船。後ろは戸畑区にある1936年建築の「ニッスイ戸畑ビル」 若松側から戸畑側へ向かう人で超満員の、1962年の若戸渡船=戸畑市(当時)の戸畑渡場(右上は工事中の若戸大橋) 自転車での乗船も可能。休日にはサイクリング姿の利用客も目立つという 朝のラッシュを過ぎると、渡場は落ち着きを取り戻す。午前8時半ごろの戸畑渡場 若戸渡船運航ルートの地図

 北九州市の若松区と戸畑区を結ぶ渡し船がある。通称「若戸渡船」。ルーツは江戸時代にまでさかのぼる。マイカー普及などで、利用客は全盛期の20分の1以下にまで落ち込んでいるが、市民からは今でも生活の足として活用されている。波穏やかな洞海湾をゆったり行き交う渡船の1日に密着した。

 午前5時55分・戸畑渡場(とじょう) 若戸渡船の始発。空が少し明るくなり始めた頃、戸畑区側の戸畑渡場から乗船した。客は5、6人とまばらだ。飲食店店員の池田孝太さん(38)は小倉での仕事を終えて若松区の自宅へ帰る途中だった。高校卒業まで若松区で過ごし、後に東京で就職。昨年6月から地元に戻って働いている。「久しぶりに渡船に乗ったら、地元に戻ってきたという安心感があった」と振り返った。

 午前6時3分・若松渡場 若松区側の始発。高校3年の安部祐貴さん(17)は、ほぼ毎日この時間の便を利用するという。船と電車で約1時間半の通学。「渡船は身近にあって当たり前だけど、なくてはならない」と、目をこすりながら言った。

 <若戸渡船の正式名称は「北九州市営渡船若戸航路」。市の渡船事業所が管理、民間業者に運航を委託している。平日は計142便。若戸両岸、直線距離で約420メートルを約3分間で結び、ピストン輸送している。

 ルーツは江戸時代の「大渡川(おおわたりがわ)渡船」だ。元々は地主らが経営していたが、明治時代に若松村(現若松区)、戸畑村(現戸畑区)に移管し、後に北九州市に引き継がれた。

 客はほとんどが地元の住民。朝夕のラッシュ時は通勤通学の利用が多いが、夜には酔客が乗ることもしばしばだ。運賃は大人100円、子ども50円。プラス50円で自転車での乗船もできる>

 正午ごろ・戸畑渡場 朝のラッシュを過ぎた戸畑渡場に若松区の男性(74)が来た。3週間に1度の通院の帰りだという。「昔はもっと活気があった。船に乗りきらんほど人が多かった」。高校時代は毎日渡船を利用し、東洋一のつり橋と言われた「若戸大橋」を見上げて青春を過ごしたという。

 <若戸渡船は、航路の頭上に架かる若戸大橋の完成前年の1961年度に最多となる年間1061万人の利用を記録。若戸大橋開通時には貨物船とともに廃止が検討されたが、存続を求める声が起こり、旅客用の渡船は継続した。

 ただ、以降は利用数はほぼ右肩下がりで、昨年度は約47万人(暫定値)にまで落ち込んだ>

 午後5~7時台・戸畑渡場 夕方からは帰宅ラッシュの時間帯。神奈川県出身で、小倉で働く中尾恭子さん(34)は、保育園に預けた長女の綸花(りんか)ちゃん(1)と乗船した。「おふね、おふね」とおしゃべりするまな娘とともに渡船通勤を満喫しているという。

 午後10時25分・戸畑渡場 戸畑渡場からの最終便。コンサルタント会社で働く蔵重嘉伸さん(42)は一杯引っかけて、若松区への帰宅途中。「ライトアップされる若戸大橋と海のロケーションなど、コンテンツは無数にある。何とかにぎわいづくりに生かせないか」と、熱っぽく語った。

 午後10時30分・若松渡場 1日の最終便には、製造業の神屋正教さん(60)がただ1人乗船。渡船はなじみ深い存在で、特別に意識したことはないという。「でも、無くなったらさびしいね」。渡場の改札員に見送られ、足早に家路を急いだ。

 <わずか3分の船旅ながらも、そこには行き交う人々の息づかいや、古里をこよなく愛する思いが交錯していた。時代が変わっても残り続ける北九州の「原風景」をまた一つ発見した>

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