平和かみしめ祖父の足跡たどる 玖珠町の米国人ALT講演

西日本新聞 大分・日田玖珠版

 第2次世界大戦時に米軍海兵隊だった祖父が残した17枚の写真を手がかりに、長崎を巡る活動をしている玖珠町の外国語指導助手(ALT)トレバー・スレビンさん(26)=米国出身=が、日田市で初めて講演した。戦後、心的外傷後ストレス障害(PTSD)とみられる症状に苦しんだ祖父の様子や自身が長崎を訪れて感じたことを語り、平和の尊さを訴えた。 

 8月24日にあった講演は、同市の「憲法九条を守る日田の会」が主催。スレビンさんによると、亡き祖父キャロルさんは1942年から45年まで軍隊生活を送り、沖縄戦にも参加。終戦後は、原爆投下で焼け野原になった長崎市に入り、2カ月半を過ごした。

 ハワイ大学で言語学を学び、沖縄のうちなーぐち(沖縄言葉)の勉強もしていたスレビンさんは、2017年に初めて長崎市を訪れた。それを父に伝えたところ、祖父が残した同市の写真データが送られてきた。

 戦争に参加し、自分が生まれる前に亡くなっている祖父。「日本で何を考えていたのかを知りたい」と足跡をたどり始めた。この年、長崎市の記録写真に詳しい被爆者に協力してもらい、撮影地点とみられる山王神社の「一の鳥居」や銭座小、浦上川などを巡った。

 講演でスレビンさんは祖父が残した写真と、現在の写真を示しながら、祖父の手紙や父親らに聞いた話を紹介。「祖父は原爆の被害だけでなく長崎の人の暮らしも見た。そして共感を持っていた」「祖父は原爆について語らなかったそうだが、被害を目の当たりにして、使わない方が良かったという思いを持っていたのではないか」と思いを巡らせた。

 さらに「祖父は米国の、白人による黒人差別が激しい地で生まれ育った。だから、日本人にも差別をすることを心配した。ただ、最初からその思いがあったわけではなく、長崎の人々と触れ合って新しい自分に変わったと思う」と話した。

 終戦後、祖父は目覚まし時計の音で目覚めると、荒い呼吸で亡霊でも見たような表情でいることがあり、父には「おまえは軍隊に入るな」と告げていたという。戦争をテーマにしたテレビ番組を嫌い、退役軍人の会にも入らなかった。「祖父にとって戦争は忘れたくても忘れられない記憶。今でいうPTSDだったのではないか。戦争とは縁を切りたかったはずだ」

 スレビンさんはこの日の講演を、日本の歌「上を向いて歩こう」を歌って締めくくった。初めて長崎市を訪れ、爆心地に近い城山小で遊んでいた児童が口ずさんでいた歌だ。あの日、スレビンさんも歌った。かつて敵国同士でも今は一緒に歌っている。「平和を感じられた。忘れない印象的な場面だ」。講演会の参加者たちも大きな声で歌っていた。

 スレビンさんはこれからも、祖父の写真に映った場所を訪ねて回るつもりだ。「もっと祖父のことを知って、もっともっと平和のことを考え続けたいから」

大分県の天気予報

PR

大分 アクセスランキング

PR

注目のテーマ