「魯迅は獄中か沈黙か」 上別府 保慶

西日本新聞 オピニオン面

 香港の「逃亡犯条例」改正案に対する激しい抗議は、世界の注視にもかかわらず、中国本土ではほとんど報じられていないという。厳しい情報管制は今も昔もである。

 1957年夏のこと、毛沢東は作家を集めて懇談した。折しも体制批判を抑える「反右派闘争」のさなかで、作家たちにすれば、言葉を選ばねば危うい席だ。そこで出た無難な質問が「魯迅先生がご存命なら、今ごろは何をされているでしょう」だった。

 世界に知られる文豪・魯迅は、その没後に毛沢東自らが「偉大な思想家」の位置に据えていた。魯迅には共産党を批判した過去もあったが、不都合なものは伏せていた。

 すべてを知る毛沢東は本音を口にした。「魯迅か。牢屋(ろうや)の中で書いているか、世の大勢を知って黙っているかのどちらかだろう」

 この話は大衆には知られなかったが、まだ英国統治下にあった香港を通じて、世界に漏れた。香港には言論の自由があり、中国本土では禁書扱いの本も出版できたからだ。

 その香港で、中国に民主と自由を促す月刊誌「争鳴」が創刊したのは77年だった。創刊者は中国共産党が政権に就く前に、香港にあった共産党系の地下通信社で働いていたが、文化大革命に幻滅し共産党批判へ転じていた。

 「争鳴」は党指導部の失政や腐敗を非難し続け、89年の民主化運動の時期には、部数が8万5千に伸びたという。

 海外の中国研究者にとっても必読の雑誌だった。

 北京在住の党古参幹部が「北海閑人(かんじん)」の筆名で書いた連載は14年前に邦訳され、「中国がひた隠す毛沢東の真実」(草思社)にまとめられている。この中に64年、毛沢東が日本社会党の訪中団を面食らわせた、今ではあまり触れられない話がある。

 「(訪中団が)日中戦争について謝罪しようとしたのに対し、毛沢東は『日本は謝る必要はない』とさえぎり、つぎのように正直に語った。『われわれ中国共産党はあなたがた日本軍国主義に感謝しなくてはなりません。日本軍がもし中国に侵略していなかったら、共産党の勝利はなかったし、新中国の成立もなかったからです』」

 北海閑人は、毛沢東が戦時に自分の軍隊を温存し、国民党軍により多くの損害が出るよう仕向けた本音がここに表れている、と指摘している。このやりとりは中国外交部の記録にも残っている。

 「争鳴」は一昨年の10月号で休刊した。赤字が続き、創刊者も96歳で他界した。それでも民主を求める市民の声は絶たれていない。 (編集委員)

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