「見る」でなく「出会う」場に 田井肇氏

西日本新聞 オピニオン面

「シネマ5」支配人  田井肇氏 拡大

「シネマ5」支配人 田井肇氏

◆映画館の文化

 私たちは、与えられた一度限りの人生を生きている。「女性に生まれたかった」「お金持ちに生まれたかった」「別の顔に」「別の時代に」。そんなことを思うことはあっても、そうはならない。

 映画は、そんな私たちに、「生きることがなかったもうひとつの人生」を生きさせてくれる。まったくの他人の人生をまるで自分のもののように生きて、恋に身を焦がし、危機を乗り越え、時には大昔の、時には未来の、セレブの、極貧の、少年の、老人の、わずか一日であったり、数十年に及んだりする物語の中に身を投じるのが、映画だ。

 ヤクザ映画を見た人が肩で風を切って映画館から出てきた、というのはよくある話だが、映画の世界に没入して、外に出るとすっかり世界がちがって見えたという経験は、多くの人が味わったことがあるにちがいない。

 映画館の「映画以外の何もない暗闇」は、そうした映画体験をもたらす装置として、人々を惹(ひ)き付けてきた。

 私の若い頃の「映画の思い出」は、「あそこであれを見た」というふうに、映画館と分かち難く結びついている。映画に個性があるように、かつて映画館にもさまざまな個性があった(劇場名にさえ)。

 だが、今はどうだろう。シネコンが主流となり、見るのは「○番スクリーン」だ。そこでは今現在の話題作が網羅されてはいるが、その映画館らしさを感じさせる映画がかかっているというようなことはなく、単に見たいものを見るだけの場所になっている。

 一方、DVDや配信で、スマホでも手軽に映画を見ることができるようになった。映画を見る環境は、「見たい映画が映画館にかかるのをじっと待っていた」頃に比べれば、格段によくなったといえる。

 しかし、映画文化は豊かになっただろうか。映画館を出るといつもの風景がちがって見えた、まっすぐ家に帰りたくない気持ちになった、というような、映画に心を鷲掴(わしづか)みにされる体験は、むしろ減っているのではないか。

 実人生と同じように、映画の中の「もうひとつの人生」も、単に消費して終わるものではない。心に沈殿してずっと残りつづけ、いつしかそれを「見た」ではなく「出会った」と呼ぶようになる。そんな文化としての映画を育む場、それこそが「映画館」ではないだろうか。

     ◇      ◇

 田井 肇(たい・はじめ)「シネマ5」支配人 1956年生まれ。昭和最後の日、1989年1月7日より、大分市でミニシアター「シネマ5」を経営。コミュニティシネマセンター代表理事。

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