保養キャンプ 心の洗濯 福島の子どもたち 自然は素晴らしいだろう

西日本新聞 くらし面

「耕人舎」を建てた安岡正彦さん。いろりも自身で取り付けた 拡大

「耕人舎」を建てた安岡正彦さん。いろりも自身で取り付けた

砂浜でスイカ割りをする保養キャンプの子どもたち=2016年 エメラルドグリーンに輝く大浜海水浴場

 ●「耕人舎」の安岡さんが山口に招待

 東京電力福島第1原発事故後、地元の海で遊べなくなった福島の子どもたちに、夏の自然を満喫してほしい。そう願い、北九州市門司区の元小学校教諭、安岡正彦さん(64)が山口県長門市の海沿いに宿泊施設を自ら腕を振るって建てた。放射能汚染への不安を抱えながら被災地で暮らす親子に心を寄せ、毎年「保養キャンプ」に招き続ける。

 同市油谷にある木造平屋の「農業小学校 耕人舎」。そばにエメラルドグリーンの大浜海水浴場が広がる。夏休みに福島からやって来た子どもたちは、時間を忘れて泳ぎに夢中になったり、割ったスイカを海水に浸してほおばったり。自分たちでまきを割り、かまどで火をおこすと顔をほころばせた。夜は油谷湾を臨むウッドデッキでバーベキューをし、蚊帳を張った寝床で川の字になって眠る。1週間ほど過ごした大広間の柱には、それぞれの背丈の高さに印と名前が刻まれた。

 安岡さんと油谷の出合いは、趣味のカメラを手に訪れた2007年頃にさかのぼる。水平線に夕日が沈む棚田風景に魅せられ、耕作放棄地を借りて無農薬の野菜や米を育てる“週末農業”を始めた。11年3月に東日本大震災が起きた。学校が夏休みの間に福島の被災地を巡り、被ばくが心配で運動会や水泳の授業が中止になったり、子どもたちが外遊びを制限されたりしていると知った。寄付を募って13年、6人の親子を油谷の民家に招く保養キャンプを開いたのが始まりだ。

 宿舎を建てようと思い立ったのは、民家の協力と寄付頼みでは「永く続けられない」と考えたからだ。早期退職した14年、退職金で約700平方メートルを購入。業者に頼んだ骨組み以外は、自ら電動のこぎりやドライバーを振るい、浴室やトイレなども含め、2年かけてほぼ全てを取り付けた。

 「耕人舎」の由来は、「一つの花」などで知られる児童文学作家の故今西祐行さんが相模原市に開設した「菅井農業小学校 耕人舎」。子どもたちに「命を養う農業体験を通じ、体を動かして学ぶことが豊かで面白いんだと知ってほしい」との願いを込めた。

 田畑の世話のため、安岡さんはほぼ毎日、北九州市から往復4時間車を走らせ油谷に通う。収穫した大根は山口県の特産「寒漬け」にして販売。高級品種の黒豆も大きな収入源だ。キャンプ参加者の交通費はこれらや寄付で賄い、食費は自己負担してもらっている。

 4年間で受け入れたのは親子19人。「『砂を触っちゃ駄目』と注意しなくていいことが本当にうれしい」「『どうしてここ(福島)で生んだんか』と子どもに言われたら返す言葉がない」…。親たちは抑えていた胸の内を安岡さんに吐き出す。原発事故から8年たち「親こそ保養を必要としている」と感じている。

 「離れた場所から応援しとる大人もおるんや」。手づくりの学びやから、安岡さんはそんなメッセージを伝えようとしている。

 ▼保養キャンプ 原発事故で被災した住民が、放射線量の低い地域で一定期間過ごすことで、体内の被ばく量を減らしたり心身の緊張を和らげたりすることを目的とする。旧ソ連ウクライナで1986年に起きたチェルノブイリ原発事故後、子どもや妊婦らを保養キャンプに招く活動が広がった。日本でも福島の原発事故を契機に、国内外の支援者が各地でキャンプを開催。夏休みなどの長期休暇を利用して福島の子どもたちを受け入れている。

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