「三現」が紡ぐ新三国志 井上 裕之

西日本新聞 オピニオン面 井上 裕之

 三という数字は不思議だ。三位一体、三種の神器、三日坊主…。物事の真理や法則性などをうまく表す。なぜか据わりがよく、2文字のシンプルな言葉でも説得力を持つ。

 「三現」で行動しなければ真実は見えない-。失敗学の提唱者で、東京電力福島第1原発事故の調査・検証委員長を務めた畑村洋太郎・東京大名誉教授は、こう説く。

 「三現」は、現地に足を運ぶ、現物に触れる、現場の人に話を聞く-の三つを指す。記者の基本とも重なる。

 「天災は忘れた頃に…」。東日本大震災で再認識されたのは戦前の物理学者、寺田寅彦が言ったとされる警句だ。畑村さんは寺田の「天災と国防」(講談社)の巻末解説で、寺田がまさしく「三現」を実践していたと分析している。

 随筆を読むと、被災地を歩いたり、目撃者の話を聞いたり、自ら動いて深い考察を重ねたことが分かるからだ。

 三と言えば、日中韓の関係が揺れている。日中対立が収まったと思ったら、今度は日韓の紛争。東アジアの新「三国志」は複雑だ。ただし市民の間では、政治と民間交流を分けて捉える冷静な空気も漂う。とりわけ中韓の人々は、もはや反日一辺倒ではない。

 要因はそれこそ「三現」ではないか。今や日中、日韓の人の往来はそれぞれ年間1千万人超。互いに国を訪れ、人々の営みに接し、素顔で言葉を交わす。国情や文化の違いを知りつつ、互いの市民の多くが友好的で争いを望まないことを肌で感じている。

 なのに、日本の政治家の一人がまた領土問題で「戦争」を容認するかのような発言をした。以前の反省の弁は「舌先三寸」だったのか。彼はこの言葉を知らないのだろう。「三省」。自分の言行が正しいか、日々顧みることだ。

 畑村さんは「三現」の対極として「三ナイ」を戒める。見ない、歩かない、考えない-。情報が簡単に手に入るインターネット社会の落とし穴である。永田町・霞が関の面々が首相の顔色だけをうかがう「忖度(そんたく)政治」も同根か。

 三国志の面白さは、多彩な登場人物と彼らが繰り出す知略や計略にある。そこに着目するなら、現代の為政者は国内外ともに小粒で、短絡・直情的な姿勢が目立つ。

 日中韓が三すくみの対立を繰り返し、「三くだり半」を突き付け合ったところで何の得があるのか。つまらぬ物語は「三文小説」という。新三国志がそうならぬよう願う。

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 ▼いのうえ・ひろゆき 1957年、福岡県生まれ。社会部、東京支社報道部、国際部、中国総局(北京)、論説委員会などを経て2018年から特別論説委員。

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