工藤会と対峙「家族を守った」父誇り 銃撃で犠牲 建設会社会長の長女

西日本新聞 社会面

 家族や社員を守るため暴力団に立ち向かった父は誇り-。2011年11月、特定危険指定暴力団工藤会(北九州市)の組員らに射殺された同市小倉北区の建設会社会長=当時(72)=の長女が西日本新聞の取材に応じ、胸の内を語った。ショックから記憶を消し去りたいと深く落ち込んだ時期もあったが、父への感謝を胸に少しずつ前を向いてきた。「今も悲しく、悔しい。でも、暴力団と闘った父のため事件を忘れない」

 「パン、パン」。午後9時ごろ、大相撲九州場所を観戦し、車で妻と帰宅した父を2発の銃弾が襲った。「撃たれた」。長女は自宅にいた高校生の息子から電話を受け、事件を知った。

 救急車の中、息子は真っ青な顔で足をガタガタ震わせる父の手を握り続けた。意識は戻らなかった。長女が病院で対面した時には、もう冷たくなっていた。

 父は大家族の末っ子として生まれた。貧しく、中学では修学旅行に参加できなかった。中学卒業後、1代で型枠工事会社を築き「家族に苦労させまい」とがむしゃらに働いた。暴力団への利益供与を禁じた福岡県暴力団排除条例が10年に施行されると暴排運動にも取り組んだ。業界を取りまとめるリーダー的存在だった。

 県警は17年1月、殺人などの容疑で工藤会幹部ら12人を逮捕。記者会見では「縄張りの建設業の利権を守るため、見せしめとして殺害した」と強調した。8人が起訴された。

 公判は分離して審理され、昨年10月、1人に有罪判決が出た。判決は「意に沿わない人物を排除するため、会の指揮命令系統の下で襲撃計画が練り上げられた」と認定した。「(一般人に)なぜそこまでする必要があったのか。人の心がない」。長女の憤りは消えない。

 事件から8年、県警による工藤会壊滅作戦から11日で5年を迎えた。息子は父と同じ建築の道を志す。自身は父が残した土地で飲食店を営む。「人を集めるのが好きだった父のため、店を守り続けたい」。当時と同じように母と自宅に暮らし、父の仏壇を見守る。

 銃弾1発を受け、なお銃口を向けられても逃げずにもう1発撃たれたようだ-。後に警察から聞いた。

 「私たちはずっとおびえて生きていかないといけなかったかもしれない。父が対峙(たいじ)して、守ってくれたんだと信じています」

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