「7人の侍誰?」その後 古賀 英毅

西日本新聞 オピニオン面 古賀 英毅

武士7人が写った謎の写真 拡大

武士7人が写った謎の写真

 本紙の8月17日付朝刊に載った「古写真 7人の侍誰?」を覚えているだろうか。福岡藩家老の家来の末裔(まつえい)という男性が寄せた写真の武士たちの謎を追った記事だ。

 掲載後、間もなく読者から情報をいただいた。「宮崎・飫肥(おび)藩主の伊東家の関係者ではないか」。伊東家の家紋「庵木瓜(いおりもっこう)」が、中央に座る武士の胸にある家紋によく似ている、というのがその理由。写真を基に描いたとみられる同じ人物の烏帽子(えぼし)姿の肖像画も残っていることから、上級武士と考えられるからだという。

 「はて、宮崎? 持ち主は母方も父方も福岡藩関係者だったはずだが…」と一瞬戸惑ったが、すぐに合点がいった。「小村寿太郎だ」

 小村は飫肥藩出身の元外相。日露戦争終結のポーツマス条約調印で知られる。1875年に文部省の第1回留学生として米国ボストンのハーバード大に入学して法律を学び、80年に帰国した。同大時代に一緒に下宿していたのが福岡藩出身の金子堅太郎だ。

 金子は71年、岩倉使節団の欧米派遣に私費留学生として参加した旧藩主、黒田長知(ながとも)の随行者として渡米。現地の学校で学び、76年に同大ロースクールに入った。

 金子と小村によって福岡藩と飫肥藩、そして「謎の写真」のプリントに関わったとみられる「米国留学生」がつながった。しかも写真の持ち主の曽祖父の養子である団琢磨は、金子と共に長知のお供として渡米、同じボストン郊外のマサチューセッツ工科大で鉱山学を修めた。金子との交友も深く、妻は金子の妹だ。

 「伊東家の関係者の写真が小村側から、金子経由か直接、団側へ伝わった」。そんな物語が思い浮かんだ。「これで謎が解ける」とワクワクしながら飫肥藩があった日南市に問い合わせた。だが「当該の写真は飫肥藩には伝わっておらず、写っている人物に似た写真もない」という回答だった。

 振り出しに戻った。実はこの写真、所有者から持ち込まれたのは昨年末。時間を見つけて取材を重ねてきたが、半年以上を経ても、すべてが謎のままだ。でも、謎が解けないことも歴史関連の取材の妙味なのだ。負け惜しみではない。 (伊万里支局長)

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