諫干「争いいつまで」 漁業者「混迷、国の責任重い」

西日本新聞 社会面 山本 敦文

漁獲が激減した有明海の現状を憂える大鋸幸弘さん=13日午後、佐賀県太良町(撮影・河野潤一郎) 拡大

漁獲が激減した有明海の現状を憂える大鋸幸弘さん=13日午後、佐賀県太良町(撮影・河野潤一郎)

 「諍(いさか)いの海」に穏やかさが戻るのはいつになるのか。諫早湾干拓訴訟で13日、注目された最高裁が命じたのは審理のやり直しだった。国側の勝訴を覆したことを漁業者側の弁護団が歓迎する一方で、専門家でなければ理解が難しいほどに複雑化した問題は、さらに長期化する見通しとなった。潮受け堤防の排水門を巡り、長年にわたって立場を異にしてきた周辺住民たち。賛否の声には色濃い疲れもにじんだ。

 「差し戻しで長期化の恐れが十分ある。心身ともに弱っていく中で、いつまで闘えばいいのか」。20年もの間、諫早湾干拓事業にあらがってきた佐賀県太良町のタイラギ漁師、大鋸(おおが)幸弘さん(63)。最高裁判決に一定の評価をしつつ、長引く裁判に疲れを隠せない。

 父親の亨さん(2012年、84歳で死去)の背中を追って、中学卒業後に潜水漁師を目指した。17歳で初めての「潜り漁」。海底に下りると砂地一面にタイラギ貝が密集し、踏みしめると「ガシャ、ガシャ」と、貝と靴底とがぶつかる音がした。貝柱で48キロのタイラギを3時間で採った後は、手が腫れて痛かった。普段は無口な亨さんには「上等。よう頑張った」とほめられ、喜びがこみ上げた。

 その「宝の海」の異変は、1997年に諫早湾が鋼板で締め切られた「ギロチン」直後から始まった。98年度にタイラギの漁獲は激減し、99年度はゼロに。「なぜ急に採れんようになったか」。長年、海と生きてきた父が疑問に答えた。「あそこに堤防を造れば潮流がおかしくなり、海が死ぬ。自然を壊した報いだ」。国との闘いを決意した。

 2000年4月、漁船約60隻で干拓事業への海上抗議行動を率いた。02年11月に工事差し止めを求め佐賀地裁に提訴した訴訟では大浦地区で最初の原告に。「開門」が確定した訴訟でも原告に名を連ね、今回の判決も当事者として見守った。

 長期化する裁判に原告の高齢化も進む。開門を命じた確定判決を「国がちゃんと履行してくれたら、こんなに混迷しなかった。国の責任は重い」。差し戻し審に希望を託し、歯を食いしばって闘い続ける覚悟だ。 (河野潤一郎)

■営農者「先送り情けない」

 「情けない。白黒をつけるのが最高裁の役割だと思っていた。地裁や高裁の判断がねじれているのだから、最高裁が決着をつけるべきだ」。国営諫早湾干拓事業で造成された干拓農地(長崎県諫早市)の営農者、町田浩徳さん(56)=同県雲仙市=は、審理を差し戻した最高裁判決に戸惑った。

 タマネギなどを栽培してきた町田さんは、「塩害が発生する」として開門に反対してきた。2010年に開門を命じる福岡高裁判決が確定したのを受け、開門阻止を求めて提訴。これまで司法に振り回されてきたという思いがある。「福岡高裁で審理して開門派が負けても、彼らは再び上告するだろう。いたずらに時間がかかるだけだ」

 一方、営農者にも開門を求める声がある。松尾公春さん(62)=同県島原市=はレタスなどを栽培してきたが、水はけが悪く、冬は堤防閉め切りでできた調整池から飛来して作物を食い荒らすカモに悩まされた。農地を「優良」と宣伝した国や長崎県農業振興公社への不信感が募り、18年1月に「カモの食害防止を怠った」と提訴した。

 かつては開門差し止め訴訟の原告だった松尾さん。「今は開門した方が農業のためになると信じている」 (山本敦文)

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