ロヒンギャが去った街 平穏の裏、根深い相互不信 ひそかな帰還者も ミャンマー・ラカイン州ルポ

西日本新聞 国際面 川合 秀紀

2年前の武力衝突まで仏教徒のラカイン族とともに数千人のロヒンギャが住んでいたマウンドー郊外の集落=8月31日、ミャンマー・ラカイン州 拡大

2年前の武力衝突まで仏教徒のラカイン族とともに数千人のロヒンギャが住んでいたマウンドー郊外の集落=8月31日、ミャンマー・ラカイン州

バングラデシュとの国境の橋でロヒンギャ難民の帰還を待つミャンマー当局者たち=8月30日、マウンドー郊外 ラカイン族が移り住んだ集落。子どもたちが無邪気に遊んでいた=8月31日、マウンドー郊外 駐ミャンマー大使の丸山市郎氏=2日、ミャンマー・ヤンゴン ラカイン州地図

 ミャンマーのイスラム教徒の少数民族ロヒンギャ約70万人が2017年8月、隣国バングラデシュに逃れて2年余り。避難民の暮らしは困窮を極めるが、解決の兆しは一向に見えない。両国や国際社会が帰還を促しても、当のロヒンギャが応じないためだ。理由は「戻ったら殺される」。なぜ彼らはそう思うのか。ロヒンギャが去った戒厳令下のミャンマー西部、ラカイン州を訪ねた。 (マウンドーで川合秀紀)

 気が付くと、インターネットがつながらなくなった。電波状態は良いのに、地図も、会員制交流サイト(SNS)も開けない。政府が6月、治安悪化を理由にネットを遮断した地域に入ったのだ。

 8月29~31日、ミャンマー政府主催の取材ツアーに参加した。目的地はバングラデシュ国境に近いラカイン州北部マウンドー。かつてロヒンギャが多く住んでいた地だ。

 州都シットウェから車と木造船、再び車を乗り継ぐ。ネットが不通になったのはマウンドー到着の約30分前。道沿いにライフル銃を持った警官が目立ち始める。同乗の政府担当者(35)は「最近、この道沿いで地雷が爆発した」。通り過ぎてから言われても…とは思ったが、緊張感が高まる。

 同州北部は以前からロヒンギャや仏教徒の少数民族ラカイン族の武装組織と当局との衝突が続く。ネット遮断はツアー最終日の31日深夜に一部解除されたが、日本外務省はなお一帯を「渡航中止勧告」の対象に。最大都市ヤンゴンでタクシー運転手にマウンドー行きの予定を伝えると「危ないからやめろ」と忠告された。

 だが実際にマウンドーに入ると、人や車の往来が多く食堂や商店もにぎわっていた。ネットが遮断され、夜間は外出を禁じられたが、それ以外は拍子抜けするほど平穏な日常があった。

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 ロヒンギャがこの地を逃れたのは、彼らの武装集団(ARSA)が2年前、マウンドーの警察施設などを襲撃し、当局との衝突が拡大したためとされる。

 ロヒンギャは国の法律が定める「少数民族」の対象外で、国民とすら認められていない。国民の約9割を占める仏教徒との溝は深く、迫害と衝突によるロヒンギャ流出が何度も繰り返されてきた。ツアーに同行した仏教徒のミャンマー人記者は「古くて新しく、複雑な問題だ」と言葉を濁した。

 市街地から車で40分。2年前のARSAによる襲撃後、ラカイン族が移り住んだ集落を案内された。至る所で銃を持った国境警察の警官が警戒していた。

 ラカイン族の男性(31)は「2年前の襲撃で30歳の親戚の女性が殺された。今も怖い」。集落の管理者(41)は「ARSAだけでなくムスリム(ロヒンギャのこと)全体が憎い」と言い切った。

 さらに30分走ると、ロヒンギャ数千人とラカイン族約千人とが一緒に暮らしていた集落があった。2年前の衝突後、ロヒンギャは報復を恐れて去り、今はラカイン族だけが残る。

 「以前はムスリムを雇って仲良く暮らしていた。それをARSAは壊した」

 そう語る農家の女性(45)に、共存していた頃に戻れると思うか聞くと「思わない。彼らが戻ったら、私たちが襲われてしまう」。小学校教諭の女性(35)も「(ロヒンギャが)帰ってくるなら、私たちが出て行く」と語った。

 そのラカイン族も自治権拡大を求め、武装組織が当局と衝突を続ける。

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 「橋を渡ればバングラデシュだ」。厳重に警備された橋のたもとに、政府の「レセプションセンター」があった。川向こうのコックスバザールにある難民キャンプから帰還するロヒンギャを受け付ける施設だ。

 机の上に、8月22日に計画された帰還予定者約2万人の名簿があった。実際は誰も現れなかったが、「私たちは常にウエルカムだ」と担当者は強調した。

 ツアー直前の8月27日、丸山市郎駐ミャンマー大使(65)がマウンドーを訪れた。政府の帰還計画とは別に、ひそかに戻ったロヒンギャがいたためだ。

 ミャンマー政府によると昨春以降、独自に帰還したロヒンギャは計265人。このうち5家族12人に話を聞いた丸山氏は彼らの多くがマウンドー市街地に暮らしていると知り、驚いた。

 「元の村に戻ればほかにロヒンギャはいないから、帰還が周囲にばれる。でもマウンドーの市街地なら紛れて暮らせるし、治安も安定している。ラカイン族のいる学校に子どもを通わせる者もいた」。ごく一部だが、ひっそりと“共存”を取り戻していたのだ。

 彼らは「目立てばARSAにばれて殺される」とも漏らしたという。ロヒンギャの武装勢力が帰還を妨害する理由を、丸山氏は「ロヒンギャの国籍を政府に認めさせる要求を強めるには、帰還と共存が進むのは都合悪いのだろう」とみる。

 故郷に戻りたくても戻れないロヒンギャの怒りや悲しみは言うまでもない。国連や欧米もロヒンギャ問題を「民族浄化」と非難。早期の帰還と国籍付与をミャンマー政府に求めている。だが、幾重にも絡みあう「民族対立」の現状に触れ、この要求がいかに困難であるかを痛感した。

■中国、停戦仲介や帰還計画に関与 存在感さらに

 ロヒンギャの帰還計画が失敗した8月22日、ミャンマー外務省が出した声明にこんな一文があった。

 「外務省は8月6日、中国政府から、バングラデシュが22日に帰還を始める意向だと知らされた」

 ミャンマーと国境を接する中国は、長く軍事政権下にあって欧米が経済制裁を課す中でミャンマーを支援。ロヒンギャ問題でも欧米とは対照的に、ミャンマー政府を支持している。声明は、帰還計画に中国が仲介役として深く関与していることを如実に示した形だ。

 少数民族の武装組織との和平交渉でも中国が鍵を握る。専門家の間では「中国側から武装組織に武器や人員が流れている」(外交筋)との見方が大勢だ。中国との国境地域やラカイン州で今年に入り激化している武装組織と当局の衝突を巡り、中国政府が8月、武装組織側を中国に招いて停戦に向けた仲介協議を行った、と地元紙が報道。近く停戦合意する可能性がある。

 中国は2015年、ラカイン州沖から中国内陸部に石油・ガスを運ぶパイプラインを建設。経済、安全保障面での結びつきをさらに強めたい狙いは明らかだ。

 日本政府もミャンマー政府への支援を続けている。存在感を増す中国をけん制する狙いがあるとみられる。ミャンマーの少数民族の和平問題に関わってきた「日本ミャンマー未来会議」代表の井本勝幸氏(54)=福岡市出身、タイ・チェンマイ在住=は「圧力一辺倒の欧米はもちろん、中国への偏重も嫌うミャンマー人は多い。日本は関係者がウィンウィンとなる経済や生活支援を地道に進めるべきだ」と訴える。

■135の少数民族 当局と再三衝突 停戦・和平進まず

 ミャンマー政府が認める少数民族は計135。組織的に武装する民族も多く、1948年のミャンマー独立以来、自治権拡大や格差是正を求め、当局と衝突を繰り返している。

 少数民族の武装組織は約20あるが、政府や国軍との停戦交渉はあまり進んでいない。アウン・サン・スー・チー氏率いる政府は、政府、国軍、各武装組織が共通の「全土停戦協定」を結ぶ包括的な和平実現を目指すが、協定に署名した武装組織はまだ半分程度だ。残る組織は署名を拒否したり、国軍と個別に停戦協定を結んだりしている。

 与党国民民主連盟(NLD)関係者は「憲法上、治安面の権限は国軍が握っており、政府は自由に交渉できない」と漏らす。

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