にぎわう百貨店、時代映す 久留米井筒屋の社内報「いずみ」

西日本新聞 筑後版 片岡 寛

 久留米井筒屋の社内報「いずみ」を創刊号から廃刊までファイル保存しています-。そんなメールが久留米井筒屋OBの男性から本紙「あなたの特命取材班」に届いた。2009年に惜しまれつつ閉店した久留米市六ツ門町のデパートの跡地には今、久留米シティプラザがある。開業から38年間にわたり発行された社内報をひもとき、久留米井筒屋の歴史をたどった。 (片岡寛)

 久留米井筒屋の前身の旭屋は1937(昭和12)年に開業、終戦直前の久留米空襲や53年の大水害を乗り越えた。井筒屋の系列に入る形で62年、久留米井筒屋と社名を変え、社内報の発行も始まった。

 62年4月号(創刊号) 「店の広報機関であるばかりでは、無味乾燥なものとなるきらいがありますので、これに潤いを持たせることも必要でありましょう。その為には文芸、趣味等の欄も設け明るいものに致したい」と当時の社長。

 創刊号以降もその言葉通り、業務報告や社員紹介にとどまらず、社員の詩を載せたり、ファッションの流行を分析したりと、内容は多岐にわたる。

 64年11月号 「いざ年末商戦-総力を結集して! 各課前年に増し強気戦法」の見出しが躍る。食品、洋品、家庭用品など歳末商戦に向けた各課の取り組みを列挙。玩具・文具は「石にかじりついてでも予算達成」、外商は「好調が怖いくらい」と、右肩上がりの時勢がうかがえる。

 69年5月号 「世界のヘビ展」の盛況ぶりを伝える。キングコブラをはじめ珍しいヘビ千匹を展示。来場者8万4千人の「日本新記録」を達成したという。「あまりの混雑とヘビを見て気分の悪くなる人が続出、それでもコワいもの見たさ、珍しいもの見たさで押すな押すなの大盛況」

 79年8月号 「新館オープン記念特集号」。久留米店新館の華々しいテープカット、にぎわう店内の写真が紙面を飾る一方、社員の気の緩みを戒める言葉も。専務は「従来の甘い考えから発想の転換をはかり、物の見方・考え方・仕事の仕方に対してシビアな姿勢で挑んでいくことが大切」と意識改革を求めた。

 有名人が来店した記録も。72年5月、久留米出身のプロレスラー坂口征二さんが屋上でサイン会。81年9月、俳優の関口宏さんが一日店長に。「テレビの笑顔と変わらない気さくでソフトな素顔で店内の人気は上々でした」。82年6月、俳優宮崎美子さんが久留米井筒屋大牟田店の中元商戦のPRに駆け付けた。

 2000年3月号(最終号) 通算408号。社長の経営指針には「久留米店は益率の低下に歯止めがかからず、大牟田店では売上挽回は不透明のままであり」と厳しい言葉が。翌年1月、大牟田店が閉店。

 ライバルの岩田屋久留米店と切磋琢磨(せっさたくま)し、中心市街地を共にけん引した久留米井筒屋。だが地元経済低迷や、03年開店の「ゆめタウン久留米」など大型商業施設の進出で経営が悪化し、久留米店も閉店を迎えた。

 OBの男性によると、社内報は当初、毎月発行していた。平成になり業績に陰りが見え始めると隔月になり、最後は季刊に。社員が減って編集員も不足し、自然消滅した。久留米店閉店の数カ月前、先輩に社内報のつづりを見せてもらった男性は、借用して紙のように劣化しない電子データの形で保存した。紙の現物は後に処分されたという。

 「旭屋や井筒屋は、地域のお年寄りの中で、楽しい家族との記憶として今も残っている。社内報が新聞記事で紹介され、思い出話に花を咲かせてもらえたら本望です」と男性は語る。

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 久留米井筒屋OB、OGでつくる「銀井(ぎんせい)会」の総会と懇親会が10月26日午後5時から、久留米市城南町のブリヂストンクラブで開かれる。

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