シャボン玉、出会って半世紀 幸せふわり みんなに運ぶ100歳

西日本新聞 ふくおか都市圏版 鬼塚 淳乃介

 ふわふわと舞い上がる七色の玉。見ているだけで不思議と幸せな気分になる。シャボン玉は「魔法」の遊び道具だ。子どもはもちろん、大人だって液を含んだストローをひと吹きすれば、あっという間に童心に帰ることができる。

 シャボン玉液製造で国内トップシェアを誇る「友田商会」(福岡市)。友田直正さん(100)が創業したのは1956年。偶然の「出会い」がきっかけだった。

 旧制中学を卒業後、朝鮮や満州で働いた。その後、旧日本軍に召集され、終戦は台湾で迎えた。戦後、地元の福岡に帰ってきたが、なかなか定職に就けず、職業安定所に通って仕事をもらう日々が何年も続いた。「妻と子ども4人をどうやって食べさせていこう。そればかり考えていた」

 ある日、姪浜(同市西区)での仕事を終えた後、「電車賃がもったいない」と自宅まで歩いて帰ることにした。しばらくして、こちらに向かって飛んでくる無数のシャボン玉に出くわした。無性に懐かしくなり、出所をたどるように歩くと、橋上に20人ほどの子どもたちが群がっていた。近くに行くと、輪の中心で男性がシャボン玉を売っていた。「これだ。これを商売にしよう」。夢中でストローを吹く子どもたちを見て、心に決めた。

 手始めに10本ほどシャボン玉液を作った。作り方はいたって簡単。せっけんを削って溶かしたものを陶器製のビンに入れただけ。それを近くの八百屋に頼んで置いてもらった。「本当に売れるだろうか…」。近くでこっそり見守った。

 心配は無用だった。シャボン玉はすぐに完売し、買えなかった子どもたちも店に「もうないの」「今度はいつ入るの」とひっきりなしに尋ねに来ていた。それからは、朝方に商品を積んだ自転車で売りに出かけ、帰宅してからは夜中の3時まで妻とシャボン玉液を詰める生活が3年ほど続いた。仕事に没頭するあまり、4人の子供全員がはしかにかかり、医者にしかられたこともある。

 経営のことにまで気が回らず、会社は一時、廃業寸前のピンチに陥った。だが、後を継いだ末っ子で現在会長を務める和哉さん(64)が新商品開発や販路拡大などで業績を回復させた。指先が食い込むほどの弾力性を持つ「ぴょんぴょんシャボン玉」や連続して玉が作れる「忍者しゃぼん玉」シリーズなど、今や商品は200種に及ぶ。

 「食べるために始めた」仕事だが、公園で人々がシャボン玉と戯れている姿を見るたび「天職だった」と実感する。自分と家族に幸せを運んでくれた「魔法の玉」は、今もどこかで誰かを幸せにしているはずだと信じている。 (鬼塚淳乃介)

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