鉄都の文化育み100年 八幡製鉄所所内報「くろがね」 佐木隆三さんら活動の源

西日本新聞 社会面 内田 完爾

所内報「くろがね」創刊号を手にする日本製鉄八幡製鉄所総務部の熊智恵子さん 拡大

所内報「くろがね」創刊号を手にする日本製鉄八幡製鉄所総務部の熊智恵子さん

 日本製鉄八幡製鉄所(北九州市)の所内報「くろがね」が9月、1919(大正8)年の創刊から100年を迎えた。企業の広報誌や社内報としては最古の部類で、くろがねは会社から従業員への業務連絡にとどまらず、俳句や小説なども掲載した。所内報編集部からは直木賞作家の故佐木隆三さんも世に送り出し、北九州の市民文化に大きな影響を与えた。

 現在のくろがねは年4回、A4判16ページを8500部発行し、半分は協力会社や市役所などの社外に配布している。安全対策の記事や、所内のラグビーチームと新入社員の紹介などが紙面を埋める。今は小説や投句のコーナーはないが、「製鉄所を社外の人にも知ってもらえるように、活気ある紙面づくりを心掛けています」と総務部の熊智恵子さん(38)は話す。

 最盛期に4万人だった従業員は現在約4千人。創刊時のくろがねは月2回発行し、部数は不明だが有料で販売していた時期もあった。九州女子大非常勤講師(図書館学)の轟良子さん(66)は「鉄の街なので街中が製鉄所に目を向けていた」と指摘する。戦時中も含め、100年間一度も休刊しなかった。

 創刊号巻頭は製鉄所長官による発刊の辞で、「意志の疎通を図って愉快にかつ有効に仕事をしていく」(原文のまま)と宣言している。「人工呼吸は何(ど)うするのか」と応急手当ての連載のほか、講談や身の上相談なども掲載していた。創刊した19年は、第1次大戦の戦時インフレや大正デモクラシーの風潮下で、労使間は緊張関係にあった。翌20年には8時間労働制を求めた八幡製鉄所大争議が起こる。轟さんは「発行には従業員をなだめる目的もあったのでは」と推測する。

 北九州市立文学館の今川英子館長(69)によると、くろがねは創刊から小説や川柳、俳句などの投稿を社員から募る文芸の場でもあった。佐木隆三さんのほか、映画「無法松の一生」原作者の岩下俊作も製鉄所安全課に勤務し、数多くの作品を掲載している。

 くろがねで文章表現を鍛えた従業員たちは自ら同人誌を作り、社外に文芸活動を広げていった。社内報も広がりを見せ、北九州で発行された「職場雑誌」は200種類を超えるという。

 森鴎外、杉田久女、松本清張…。文豪から市民に至るまで、北九州は文芸が盛んな都市だった。轟さんは「北九州は近代以降、急速に発展し、全国から人が寄せ集まった労働者の街だった。同人誌や、くろがねのような職場雑誌が、知らない者同士を結ぶ役割を果たした」と意義を語った。 (内田完爾)

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