佐世保空襲今こそ後世に 「体験なくとも知り得る」 語り継ぐ会代表・早稲田さん 

西日本新聞 長崎・佐世保版 宮崎 省三

 戦後74年余りが過ぎ、戦争体験をどう後世に伝えていくかが各地で課題となっている。佐世保市のNPO法人「佐世保空襲を語り継ぐ会」も会員の高齢化が進み、空襲体験者は数えるほどしかいない。代表の早稲田矩子(のりこ)さん(76)は「存続の危機」と話す。戦争を肯定するような国会議員の発言にも胸を痛め「今こそ戦争の悲劇を伝えておかなければ」との思いを強くしている。 

 6日から9日まで、佐世保市のアルカスSASEBOで語り継ぐ会が開いた「佐世保大空襲展」。会場入り口の一番目立つ場所に、空襲の様子を示す立体地図を展示した。爆撃機の侵入方向を表すひもを張り、煙に見立てた綿で焼夷(しょうい)弾が投下された地域が分かるように工夫した。市内の学校の平和教育で使われた教材を譲り受けたという。

 市内の日宇小4年、中田夢明(ゆめあ)さん(9)は「授業で戦争のことを聞いて、もっと知りたいと思った」と祖父と一緒に会場を訪れた。立体地図に興味津々で、大空襲展に協力した「佐世保空襲犠牲者遺族会」の山口広光副会長(80)の説明を熱心に聞いていた。

 語り継ぐ会は、例年開催していたシンポジウム形式の「市民の集い」を今年は取りやめ、大空襲展を企画した。市中心部での開催について「実際にこの佐世保で何があったかを知ってもらわなければ、将来にわたって語り継ぐことができなくなる」と早稲田さん。空襲後の街の様子が分かる41点の写真、焼夷弾の実物大模型など、より分かりやすく、多くの世代に伝わるように心掛けた。

 背景には語り継ぐ会の後継者不足がある。会員は24人で、活動の中心を担うのは教員OB。佐世保空襲の日(6月29日)の前後に学校に出向き、語り部活動を行っているが、空襲体験者はわずか3人。多くの会員は活動を通して伝え聞いた話などを子どもたちに語り継いでいる。

 早稲田さん自身も終戦時は2歳。当時は郊外の山間部に暮らし、上空を行き交う戦闘機を見送っていたのをおぼろげに覚えている程度という。

 語り継ぐ会は「地元の戦争被害を後世に正しく語り継ごう」と、平和教育に熱心な佐世保市内の教員たちが中心となって、40年ほど前に発足した。

 小学校教員だった早稲田さんが参加したのは、退職前の約20年前。「基地の街のしがらみなのか、佐世保には戦争被害を語りたくない空気がある」と考える。市主催の追悼式が始まったのは1985年。語り継ぐ会など民間の動きの後を追って、市が重い腰を上げたように見える。同じ県内に被爆地があることから、早稲田さん自身も「小学生の頃は原爆の話ばかりを聞いていた」と振り返る。

 今改めて、地元の戦争被害を語り継ぐ意義を感じている。きっかけは、北方領土を戦争で取り返すことの是非に触れた国会議員の発言。「より身近なこととして戦争を捉えていれば、あんな感情的な言葉にはならないはず」。現実味を持って戦争を考えていくためにも、佐世保市民が空襲を深く理解することが重要と確信する。

 早稲田さんは大空襲展会場のあいさつ文に、次のようにしたためた。

 「記憶されない歴史は繰り返されます。体験していなくとも戦争を知り記憶することはできるはずです」 (宮崎省三)

   ◇   ◇

 佐世保空襲 1945年6月28日深夜から29日未明にかけて、米軍爆撃機「B29」141機が3方向に分かれて焼夷(しょうい)弾を投下。約2時間の空襲で178万2千平方メートルが焼失。当時の佐世保市の35%に当たる1万2037戸が全焼。1242人が犠牲となり、全人口の27%に当たる6万734人が被災した。梅雨の雨雲に覆われていたため、市民の不意を突く深夜の空襲だった。

長崎県の天気予報

PR

長崎 アクセスランキング

PR

注目のテーマ