情報交換以上の何かがある 石橋潔氏

西日本新聞 オピニオン面

◆顔を合わせる

 最近、大学で学生たちは私語をしなくなった。以前なら教員が気を抜くと、隣同士でおしゃべりが始まった。だが今は静かだ。みんな黙って携帯端末に文字を打ち込んでいる。これは学生だけの話ではない。電車の中でも喫茶店でも、国際会議でも、みんな端末をのぞき込んで、その場にいない誰かとつながっている。

 インターネットショッピングも、居酒屋の注文もタッチパネル…。もはや顔を合わせなくても生活が成り立つ。

 今後も情報通信技術(ICT)や人工知能(AI)がさらに発達するだろう。そのとき、人と人とが顔を合わせる必要はあるのだろうか。職場で、学校で、顔を合わせていることは本当に必要なことなのか。窓口業務や営業職、教師は必要なのか。必要とするならばどんなときなのか。こんな問いが切実に投げ掛けられる時代となった。

 過去の経験を踏まえれば、顔を合わせる関係が衰退するとは単純には言えない。産業の高度化の中でこれまで増え続けたのは第3次産業、サービス業だ。とくに対人サービスの従事者は増えてきている。社会が高度なシステムになればなるほど、顔を合わせる関係が必要だったと分析できる。通信教育は、紙の時代でも、インターネットの時代でも、推進者が期待したほどは広がらなかった。むしろ明らかになったのは、スクーリングなど、顔を合わせる場が必要だということだ。

 顔を合わせることには、効率的な情報交換という以上の何かがある。それは人の感情に関連する。たとえば仕事でのミスを深く謝罪するとき、またはプロポーズするとき、私たちはメールではなく、直接会おうとする。教師や親が子どもをしかるとき、医師が深刻な病状を伝えようとするときもそうだろう。また家族の危篤のとき、その場に駆けつけようと思うだろう。そのとき単なる情報のやりとりをしたいわけではない。

 顔を合わせる関係は、ときに人とのつながりを作るが、同時にわずらわしさも生む。そして今、私たちは、直接会いに行くか、メールや通信アプリで済ませるか、日々選択できる時代を生きている。

 顔を合わせる関係をそのとき望むか、望まないか。こうした私たちの小さな選択が、結局のところ、これからの技術や社会の進む方向を決めていくことになるだろう。

     ◇      ◇

 石橋 潔(いしばし・きよし)久留米大文学部 情報社会学科教授 1964年生まれ、福岡県宮若市出身。久留米大文学部長も務める。専門は社会学、対人職業の分析。論文は「表情を交わし合う相互行為」など。

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