「こんな年で死ぬなんて」 癒えぬ悲しみを実感 被災地のいま~福岡の小学生が岩手訪問(1)

西日本新聞 上野 洋光

 福岡市南区のサッカーチーム「大橋FC」の小学生10人が8月下旬、東日本大震災で1200人以上が犠牲となった岩手県大槌町を訪れた。同年代の児童らと交流し友情を深めたほか、命の尊さなど大切なことを学んだ。子供たちが書いた作文の一部を紹介しながら、震災から約8年半を迎えた被災地のいまを伝える。

 かつてにぎわった町役場周辺には真新しい住宅がぽつぽつと建つ。一方、海側は雑草が生い茂っていた。その一角の仮設グラウンドで大橋FCと町の唯一の少年サッカーチーム「大槌SC」の子供たちが元気にボールを追いかけ回った。

 2011年3月11日。大槌町は最大22メートルの津波に襲われ、中心部はがれきの山と化した。震災直後、大橋FCの森田也寸志コーチ(41)らが大槌SCに津波で流されたユニホームやサッカー用具を贈った。その時約束したのが、今回の交流試合だ。

 大槌SCは震災でチームの大黒柱だった小学6年の鬼原壱(いち)君(当時11歳)を失った。「大事な選手だった。今も本当に悲しく悔しい。でもサッカーを頑張っているところを見せたいんだ」。大槌SCの岩間徹コーチ(57)は試合前におえつを漏らしながら福岡の子供たちに伝えた。

 壱君は生きていれば来年成人式。自分と同じ年齢で亡くなったサッカー少年を今も大切に思う大人の涙にみんな胸を打たれた。「こんな年で死んでしまうなんて。津波が来なかったら壱君も今、楽しい人生だったかもしれません」(若久小5年・祝勘太郎君)

 試合は攻守が激しく入れ替わる好ゲームとなった。大橋FCが勝利し、選手たちは握手で健闘をたたえ合った。夜の交流会では互いにものまねなどの出し物を披露し、すっかり打ち解けた。

 実は、子供たちがサッカーを楽しんだ仮設グラウンドは壱君の遺体が見つかった場所のすぐそばにある。森田コーチらは当時、壱君ら家族5人を亡くした父親にも「ICHI」と名前を入れたユニホームを贈った。「唯一の形見になりました」と受け取って以来、父親は町に戻ってきていないという。

 「僕が壱君のお父さんだったら、外を歩く力もないくらいに悲しくてつらかったと思います」(塩原小6年・稗田拓己君)。「自分の息子や家族が亡くなった町に帰ってこないことも分かる気がする」(同小6年・愛甲惟人君)

 大橋FCの子供たちは一人一人の命の大切さに気付き、今も癒えない被災地の悲しみに寄り添った。(上野洋光)

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