幻の唐揚げ、30年経て復活 炭鉱マンが愛した味「万善」 「長崎の名物にしたい」

西日本新聞 長崎・佐世保版 華山 哲幸

 長崎半島の沖合に位置する長崎市の離島・高島。炭鉱で栄え最盛期には約1万8千人が暮らした島で、住民に愛されながらも閉山とともに姿を消した「幻の唐揚げ」が約30年の時を経て復活した。島で飲食店を営んでいた祖父からレシピを受け継いだ大神慎(まこと)さん(41)が昨年10月、市内の繁華街に専門店をオープン。当時を懐かしむ人らでにぎわう。大神さんは「高島の名物から、長崎の名物に成長させたい」と意気込んでいる。(華山哲幸)

 17世紀に石炭が見つかった高島。1868年に佐賀藩とスコットランド出身の貿易商トーマス・グラバーが共同で炭鉱を開発し、81年からは三菱が手掛けた。

 大神さんの祖父、迫(はざま)道則さん(93)は1964年に島の中心部に居酒屋「万善」を開業。ちゃんぽん、ラーメン、うな重…。注文を受ければ何でもつくる店で、特に人気があったのが唐揚げ。重労働の後にしつこさを感じずたくさん食べられるよう、ニンニクやショウガ、卵は使わず、特製の甘酢たれを絡めた。「やみつきになる味」と評判を呼んだ。

 高島の炭鉱は86年、その歴史に幕を下ろす。数年後、迫さんも店を閉じた。周囲から「レシピを譲ってくれ」と言われても固辞したため、唐揚げは「幻の味」になった。

 転機は2016年。長崎を離れていた大神さんが帰郷し、レシピの伝授を祖父に頼んだ。幼い頃に食べた味を妻と子どもにも味わってもらいたかったからだ。当初は家族に作るだけのつもりだったが、閉店から30年が過ぎた今でも島民や、かつて島で暮らした人たちの間で祖父の唐揚げが話題になっていることを知り「また食べてもらいたい」と開店を決めた。

 多くの人でにぎわった高島の人口は367人(8月末現在)にまで減ったが、「唐揚げは『ソウルフード』として生き続けている」と考える大神さん。島民が愛した味を発信することが、島の歴史や魅力を伝えることにつながる、と信じている。

※「高島万善」は日曜定休。長崎市船大工町6の5。095(828)1232。

かつての繁華街 草むらに

 かつて約1万8千人が暮らした長崎市・高島。島にある日本初の蒸気機関を導入した立て坑の北渓井坑(ほっけいせいこう)は世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」の一つだ。炭鉱閉山から30年が過ぎた今、人口減と高齢化が著しい。

 27日早朝、フェリーが着いた港から海沿いを歩くと、炭鉱を経営した三菱の創始者、岩崎弥太郎のブロンズ像が見えた。さびれた町の様子と比べ、威風堂々とした姿が際立つ。夏には海水浴客が多く訪れるが、この時期は島民以外だと釣り客のほかは見当たらない。

 島の北西部、「万善」があった場所は飲食店が並ぶ繁華街だった。今は草木が茂る空き地になっており、案内してくれた高島地域センター職員の森田豊さん(59)は「昔はいろんな店があって、にぎわっていたんだけどなぁ」と振り返った。

 高島と、南にある端島(軍艦島)を合わせると、理髪店やクリーニング店、パチンコ店など約150の店が炭鉱マンや家族の生活を支えていたという。今では港近くの公設市場内の食料品店など数店舗になっている。

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