平野啓一郎 「本心」 連載第23回 第二章 告白

西日本新聞 文化面

画・菅実花 拡大

画・菅実花

 ホテルまでの一本道は、急勾配だった。若松さんは、

「きついでしょう? 冬はこの辺は真っ白ですよ。車も、4WDじゃないとね。」

 と、僕に初めて語りかけた。そういう時は、会話に応じた方が良かった。

「ええ、大丈夫です。この辺の人は、そうなんですね。本州に住んでると、そんなことさえ思い至りませんけど。」

 道の途中には、古い水族館があったが、その駐車場に停(と)まっている車も、確かに4WDが多かった。

 何度か後ろを振り返ったが、先ほどまで見ていた海が、眼下に見る見る遠ざかっていき、定食屋の屋根も、僕が立っていた磯も、細密画の一部になっている。

 体そのものが大きくなったような錯覚があった。

 ホテルは、白い瀟洒(しょうしゃ)な建物で、若松さんが行きたがっていたのは、展望テラスがついた、芝生とタイルの広い庭だった。

 平日の午後なので、人影はなく、僕は、若松さんに確認して、見晴らしの良さそうな場所の手すりの前に立った。

 風は麓にいた時よりも更(さら)に強かった。磯とは方角が違い、遠くに小さく灯台が見えた。

 手すりの向こうは草木に覆われていて、その先は、唐突に何もなかった。

 実際に草を踏みしめてゆけば、ふっくらと膨らんでいる草叢(くさむら)の中ほどから、既に切り立った絶壁となっているはずだった。ヘッドセットのAR(添加現実)をONにした。クマザサ、オウシュウヨモギ、ホオズキ、ブタナ、ホッカイヨロイグサ、……と、それぞれの名前が表示された。

 身を乗り出して下を覗(のぞ)き込むと、遙(はる)か下方に、岩場に打ち寄せる波が見えた。「危ないよ。」と、若松さんに注意されたが、この一言が、奇妙に僕の心に残っている。

 

 視界は、海と空とに力強く二分された。

 頭上は群青色のように濃い青だったが、水平線に向けて、その色が薄らいでいく。

 潮の流れが、広大な海面に、細かな模様を描き出しているが、それはむしろ、風の手が撫(な)でつけて出来た皺(しわ)のようでもあった。

 至るところに、白浪(しらなみ)がちらめき、どんな僅(わず)かな水の起伏にも陰翳(いんえい)が伴っている。

平野氏のメッセージ

私たちの生を、さながら肯定する思想を考え続けています。主人公は、愛する母親を亡くしたあと、仮想現実によって再現された母親と生活することになります。その過程で見えてくる母の本心と、自分の心の変化が主題です。乞うご期待!

平野啓一郎(ひらの・けいいちろう)プロフィール

 1975年、愛知県蒲郡市生まれ、北九州市育ち。東京都在住。京都大在学中の99年、デビュー作「日蝕」で芥川賞。「ある男」(読売文学賞)など。「マチネの終わりに」(渡辺淳一文学賞)は福山雅治さん、石田ゆり子さん共演で映画化され、11月1日に公開予定。

マチネの終わりにの公式サイト

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