阿部和重「オーガ(ニ)ズム」/古川真人「背高泡立草」/太田靖久「アフロディーテの足」

西日本新聞 文化面

 阿部和重の最新長編『Orga(ni)sm[オーガ(ニ)ズム]』の刊行を記念して、同作の連載誌だった「文學界」10月号が特集を組んでいる。『オーガ(ニ)ズム』は、一九九九年に連載が開始され二〇〇三年に刊行された『シンセミア』、一〇年の『ピストルズ』に続く「神町(じんまち)トリロジー(三部作)」の第三部完結編である。山形県東根市に実在する自らの出生地でもある神町を舞台とする小説を、阿部はこれら三つの大長編の他にも複数発表してきた(その中には芥川賞受賞作「グランド・フィナーレ」も含まれる)。約二十年の歳月が執筆に費やされた、壮大なる「神町サーガ」の終わりを告げる『オーガ(ニ)ズム』の主人公は、なんと「阿部和重」である。彼はある夜突然、自宅に血塗(まみ)れで転がり込んできたCIAのケースオフィサー、ラリー・タイテルバウムに請われ、首都移転(!)によって日本の政治の中心地となり、いまや飛躍的な発展を遂げつつある故郷神町に、幼い息子を連れて舞い戻る。

 阿部は一作ごとに文体やスタイルを一変させる作家だが、今回も前二作とはまったく異なるタイプの小説となっている。特集は、ロング・インタビュー「アメリカ・天皇・日本」(聞き手は私が務めた)、精神科医の斎藤環、アメリカ文化研究の大和田俊之、小説家の樋口恭介、翻訳家・書評家の大森望、アメリカ文学者の越川芳明による作品論、小説家の小山田浩子、鴻池留衣らによる作家論、そして「『Orga(ni)sm』キーワードをめぐるよもやま話」という充実の内容となっている。阿部の小説は多くの意味で「日本文学」の閉域に留(とど)まらないハイブリッド性を有しているが、『オーガ(ニ)ズム』はその集大成である。阿部が書いた最長の小説だが、何より強調しておくべきことは無類に面白いということである。渾身(こんしん)の大作にふさわしい特集となった。

 特集といえば「すばる」10月号が「『お金』を問う」という企画をやっている。この雑誌は以前から社会的な問題と文学の現況を架橋するのが上手(うま)い。経済学者岩井克人インタビュー、社会学者の大澤真幸、評論家の山本貴光、編集者の若林恵の論考、総勢十五名によるエッセイ(「文學界」と小山田浩子と越川芳明が被(かぶ)っている)も読みごたえがあるが、企業経営者としての顔も持つ三人の作家、上田岳弘と小佐野彈と加藤秀行の鼎談(ていだん)がとても興味深い。上田は一足先に芥川賞を射止めたが、加藤も二度候補に挙げられており、小佐野は短歌で複数の賞を受賞してから小説家としてデビューした。いずれも実力派の新鋭である。ビジネスでも結果を出してきた彼らが、なぜわざわざ文学を志したのか、という当然の疑問に、ある程度まで答えてくれる。

 「すばる」に古川真人の中編「背高泡立草」が載っている。二十代後半の奈美は、母親・美穂の命により、高齢の祖母・敬子が住む母方の実家にある棄(す)て置かれた納屋周りの草刈りに駆り出される。伯母の加代子、その娘の知香、美穂と加代子の兄である伯父の哲雄と連れ立って、彼女は家に向かう。そこには〈古か家〉と〈新しか家〉がある。納屋は二十年も前から使われていないのに、どうして草を刈らねばならないのか、と奈美は疑問に思う。そこから小説は「家」と「家族」の過去にまつわる物語へと入っていく。捕鯨の刃刺(はざし)(鯨に銛(もり)を打つ者)の物語や酒飲みの父親にカヌーで海を渡ってこいと言われた少年の物語は、独立した短編としても読める。

 太田靖久の「アフロディーテの足」(「群像」10月号)は、画家崩れの中年男が、地下アイドルもやっている女子大生(の足)に心奪われる話である。主人公はとにかく情けなくて気色悪いし、ヒロインの言動もかなり支離滅裂なのだが、読み進めていくと、奇妙な、だがひどく切実な、怒濤(どとう)の感動が襲ってくる。これは文芸誌にはめったに載ることがない「泣ける物語」である。いや、これで泣けるひとはやや特殊かもしれないが、少なくとも私は読みながら涙が止まらなかった。

(佐々木敦 ささき・あつし=批評家)

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