在韓被爆者 74年後の闘い 陜川の養護施設に100人、原爆資料館も 苦難越え「核廃絶を」

西日本新聞 国際面 前田 絵

 被爆者が多く暮らし「韓国の広島」と呼ばれる韓国南部の陜川(ハプチョン)郡。2017年に韓国初の原爆資料館が開館し、核兵器廃絶の発信拠点としての役割も担う。韓国人被爆者は長年、日韓両政府の支援を得られず、苦難の道を歩んできた。その声に改めて耳を傾けた。

 「パァーっと花火のような光線が見えた。熱風が吹いてきて、全身にガラスの破片が刺さり、気づけば血の海だった」「男女の区別も付かない死体があちこちに重なっていた」

 1945年8月6日、広島市の爆心地から約1・6キロの地点で被爆した李水龍(イスヨン)さん(91)が流ちょうな日本語で語る。今年8月21日、原爆資料館に隣接する被爆者養護施設「陜川原爆被害者福祉会館」をゼミ研修で訪れた長崎大と創価大の学生たちが李さんたち入所者の証言に耳を傾けた。

 福祉会館は96年に開館。現在は約100人の被爆者が入所している。この日は李さんたち3人の女性が被爆体験を証言した。安月嬋(アンウォルソン)さん(89)は「二度と原爆を使ってはならない。心を一つにして核兵器のない世界をつくりたい」と日本の若者に呼び掛けた。

 韓国原爆被害者協会の推計によると、広島と長崎で被爆した朝鮮半島出身者は計約7万人。うち約4万人が死亡し、帰国したのは約2万3千人という。同協会には2207人(8月末現在)の被爆者が登録。うち陜川郡を含む陜川支部が約550人を占める。

 一方、日本の被爆者援護法に基づく被爆者健康手帳を持つ韓国在住者は2119人(3月末現在)にとどまる。被爆者であることの証明の難しさが最大の理由という。

 さらに在韓被爆者は長く、手帳申請のために来日が必要で、手帳を取得しても日本を離れれば失効し手当を打ち切られていた。在韓被爆者らは日本政府や自治体を相手に相次ぎ提訴。「被爆者はどこにいても被爆者だ」と主張して勝訴を重ねた。その結果、海外での手帳申請や手当支給が実現し、2016年には医療費の全額支給が始まった。

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 原爆資料館は陜川郡が建設。2階建てで、原爆被害を説明するパネルのほか、被爆者の当時の持ち物や写真などが展示されている。被爆体験の証言映像も見ることができる。

 韓国では被爆者への理解が進んでいるとは言い難い。資料館の認知度も低く、来館者数は8月末までの約2年間で722人にとどまる。同協会陜川支部の沈鎮泰(シムジンテ)支部長(76)は「韓国社会には被爆者への差別がなお存在し、自分が被爆者だと言い出せない人が多い。理解が進まないのは、被爆者自身が被爆の実相を発信できていないからだろう」と推測する。在韓被爆者の手帳取得者数が伸びない背景には差別や被爆者自身の無理解もあるという。

 韓国政府は近年、ようやく実態把握に乗り出した。17年には韓国人原爆被害者支援特別法を施行。保健福祉省は4月、同法に基づく調査結果を公表した。被爆の影響と断定することは避けながらも「(被爆者は)がんや難病などの有病率が一般より高く現れた」と指摘。差別についても「差別を受けているという意識が強く、自身の被害を明らかにしない傾向がある」と言及した。今後は被爆2世を含めた調査や支援を検討する方針だ。

 協会は被爆75年の20年、核問題専門家による国際会議と米国の原爆投下の責任を問う模擬法廷の開催を目指す。原爆資料館に続く平和公園の建設も目標に掲げる。沈支部長は「韓国国内はもちろん世界的に核兵器廃絶への関心が高まることを期待したい」と話した。

(釜山・前田絵)

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