平野啓一郎 「本心」 連載第28回 第三章 再会

西日本新聞 文化面

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画・菅実花

 野崎に渡すために、メールを確認しながら、それでも、死の前の数ヶ月分は目を通した。しかし、ジャンク・メールに紛れたそれらの大半は、他愛もない連絡事項ばかりで、意味のある内容は見当たらなかった。念のために、「安楽死」、「死にたい」という言葉も検索したが、該当するメールは見つからなかった。

 三十年分のメールのどこかには、もっと微妙な言葉で、母の心変わりを示す表現が埋もれているのかもしれない。

 母のライフログをすべて学習したVF(ヴァーチャル・フィギュア)は、僕に何か、思いがけない真相を語り出すだろうか? 母の本心?――勿論(もちろん)、VFに心などない。しかし、僕が訊(たず)ねれば、統語論的に判断して、適切な回答をしてくれるのではあるまいか。……

 

 VFのβ版の製作には一ヶ月を要するとされていたが、野崎からの問い合わせは、僕の母への思慕を早速、動揺させた。

「ご存じの通り、カメラの性能が良くなりすぎてからは、ありきたりなことですが、」と、彼女は例の如才ない気づかいを示した。「お母様の写真は、保存時に自動修正されています。肌の色合いだけでなく、表情もですね。口許(くちもと)が実際以上の笑顔になっていたり、目が優しくなったりと、一般的なカメラの機能程度ですが。――その修正されたままのお顔をモデルに、VFを製作するか、それとも、修正を解除して、元のお顔で製作するか、ご判断いただけますか? サンプルとして、画像をお送りしますので、ご確認下さい。」

 送られてきたのは、僕が母と裏磐梯(うらばんだい)の五色沼湖沼群(ごしきぬまこしょうぐん)を旅行した時の写真だった。五年前、二人でお金を貯(た)めて、一泊二日の温泉旅行に出かけ、サルヴァドール・ダリをコレクションしている諸橋(もろはし)近代美術館の睡蓮(すいれん)の池の前で、僕が撮影した。

 水面(みなも)から底に向かって逆さに沈められているかのように、レマン湖のシヨン城を模したようなその建物は、青空ごと、鮮やかに池に映じていた。

 僕たちは、親子の写真を同じ一つのストレージに保存していた。僕も折に触れて見返すことがあったが、母が保存時に自動修正の設定にしていたことには、まったく気づかなかった。

平野氏のメッセージ

私たちの生を、さながら肯定する思想を考え続けています。主人公は、愛する母親を亡くしたあと、仮想現実によって再現された母親と生活することになります。その過程で見えてくる母の本心と、自分の心の変化が主題です。乞うご期待!

平野啓一郎(ひらの・けいいちろう)プロフィール

 1975年、愛知県蒲郡市生まれ、北九州市育ち。東京都在住。京都大在学中の99年、デビュー作「日蝕」で芥川賞。「ある男」(読売文学賞)など。「マチネの終わりに」(渡辺淳一文学賞)は福山雅治さん、石田ゆり子さん共演で映画化され、11月1日に公開予定。

マチネの終わりにの公式サイト

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