毛沢東思想の光と影 集団所有制の村発展

西日本新聞 国際面 川原田 健雄

河南省南街村の広場に立つ毛沢東像。村は毛思想に基づく共同体経営にこだわる 拡大

河南省南街村の広場に立つ毛沢東像。村は毛思想に基づく共同体経営にこだわる

中国・河南省南街村

 街路樹が整然と並ぶ大通りを抜けると、石畳の広場に巨大な毛沢東像が現れた。マルクス、レーニンらの肖像画が囲むように配置され、近くには「毛沢東思想永放光芒(毛沢東思想は永遠に光を放つ)」のスローガンを掲げた虹形アーチが架かる。

 中国河南省の省都、鄭州市の約100キロ南にある南街村。資本主義的な格差が当たり前になった中国で、今も毛沢東時代の「集団所有制」を実践する村だ。村民は住居から家具や家電、日用品まで支給され、電気や水道も無料。大学進学までの教育費も村が負担する。「もし大学受験に失敗しても予備校の費用は村が払ってくれる。本当にうらやましい」。近隣から出稼ぎに来ているという観光案内の30代女性がこぼした。

 人口約3700人の村の財政を支えるのは、年商約20億元(約300億円)の村営企業だ。即席麺やビール、製薬など約30の村営工場では8千人に上る村外からの出稼ぎ労働者が働く。

 「以前は工場もなく、本当に貧しい村だった」。村に住む女性(74)が振り返った。毛沢東が1976年に死去し、その2年後、最高指導者となったトウ小平氏が改革・開放政策を本格化させると、南街村も集団所有制をやめて土地を農民に分配した。しかし、貧困からは抜け出せず、結局再び集団所有制に戻った。

 80年代前半、日本の技術を導入して始めた即席麺工場が成功。次々と村営工場ができ、村の経済は急発展した。「今の生活があるのは毛沢東思想を実践したおかげ」と女性は満足そうにうなずいた。ただ、息子家族は村外の都市で暮らしているという。「村に残るのも、外で頑張るのも自由さ」と寂しそうに笑った。

 急激な経済成長を遂げた中国は、建国間もない52年に679億1千万元だった国内総生産(GDP)が2018年に90兆300億元まで伸びた。しかし、農村部の平均所得は都市部の半分にも満たない。豊かさを求めて都会を目指す人の流れは毛沢東の理想主義では止められない。大学1年の岳洋さん(18)も「将来は大都市で暮らしたい。失業したら帰ってくればいいし」と屈託なく語った。

■少数民族「弾圧今も」

 「その名前は聞きたくもない」。南街村近くの都市で毛沢東について尋ねると、40代女性は顔をしかめた。女性は内モンゴル自治区出身のモンゴル族。幼い頃、毛沢東が主導した政治運動「文化大革命」(1966~76年)で、父が「反革命分子」としてつるし上げられ、集団暴行の末、命を落とした。「死んだ後も紅衛兵に墓を暴かれ、遺骨をばらまかれた」と明かした。

 「文革当時は旧日本軍に協力した、モンゴル独立を画策したといった根拠不明の理由でモンゴル族が片っ端から逮捕された」。同自治区オルドス出身の楊海英静岡大教授は指摘する。

 中国政府の発表では34万6千人が逮捕され、2万7900人が死亡したとされるが、地域ごとの死傷者数など政府の内部資料を分析した楊氏は「少なくとも10万人が命を落とした」とみる。当時、自治区には大量の漢族が流入。モンゴル語の教育は禁止され中国化が進んだ。「今、新疆ウイグル自治区で同じことが進んでいる。中国の少数民族地域では今も文革が終わっていない」と訴える。

 習近平国家主席は、強いリーダーとして毛沢東と自身を重ね「偉大な指導者」を演出する。1日、北京で開催した建国70年の記念式典では「中華民族の偉大な復興」を呼び掛けた。

 「彼の言う“中華民族”の中に、私たち少数民族は入っていない」。モンゴル族の女性の表情が険しさを増した。(河南省南街村・川原田健雄)

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