「その後」展のその後 北里 晋

西日本新聞 オピニオン面 北里 晋

 「くしの歯が欠けたよう」とは、まさにこういうことを指すのだろう。

 名古屋市などで14日まで開催中の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」。多くの作家が「検閲に反対する」「連帯の意思表示」などの理由で自作の公開を中止しているためだ。照明を落とした所や展示室ごと閉ざされた会場で釈然としない表情の来場者も多い。

 こんな事態を招いたのはもちろん、企画展の一つ「表現の不自由展・その後」の内容に抗議が殺到し、実行委員会の手で開幕からわずか3日で中止されたためだ。会期末も近づき、ようやく再開方針が決まったものの、同展は「表現の自由が暴力に屈した例」として長く語り継がれることになるだろう。

 「その後」展の作品、特に従軍慰安婦を象徴する「平和の少女像」の存在がある種の国民感情に火を付けた時、すぐに思い出したのは1995年、米国・スミソニアン博物館で中止に追い込まれた原爆展のことだ。きのこ雲の下の広島と長崎であの日、何が起きたかを伝える展覧会は「原爆投下は正しい判断だった」という米国の“常識”に反し、退役軍人らの強い反発を招いた。展覧会そのものが米国人に贖罪(しょくざい)意識を植え付けようという日本側のプロパガンダと捉えられた面もある。

 国や文化のバックグラウンドが違う以上、少女像も原爆展も不快に感じたり反発を覚えたりする人がいるのは当たり前だろう。問題は考えの違いを埋める努力もせず、暴力的手段を使ってでも目の前から消そうという不寛容な態度にある。

 もともと既存の価値観に風穴をあけ、常識を揺らすことを重視する現代美術の素材は裸、廃棄物、さらには死体と何でもありだ。作家自身は「炎上」はもちろん逮捕も覚悟の上、という人すらいる。美術館の展示空間はそういう表現者の擁護者・理解者としての役割を期待されているだけに、作家らの落胆は推して知るべしだろう。

 ちなみにあいちトリエンナーレのテーマは「情の時代」。「感情・情報・なさけ」の三つの意味を掛けており、芸術監督の津田大介さんは「いま人類が直面している問題の原因は『情』にあるが、それを打ち破ることができるのもまた『情』」と解説している。

 今回、実際の作品を見もせずに会員制交流サイト(SNS)などで発信される「情報」によって負の「感情」をあおられた人たちが芸術祭をぶち壊したわけだ。せめて再開後、残された「情(なさけ)」の出番があることを願ってやまない。 (くらし文化部編集委員)

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