平野啓一郎 「本心」 連載第29回 第三章 再会

西日本新聞 文化面

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画・菅実花

 カメラがとらえた母の表情は、次にアルバムの中で僕と再会する時には、明るく朗らかに微笑(ほほえ)み直すのだった。幸福に満ちた様子で。――その写真の集積が、記憶の中の母の表情までをも、僕に無断でずっと修正し続けていた。

 比べてみると、無加工の写真の母は、言い知れず寂しげで、口許(くちもと)の笑みは僕の瞬(まばた)きにさえ堪えられずに消えてしまいそうなほど、曖昧で、微(かす)かだった。眩(まぶ)しかったせいか、目には幾分、哀感が滲(にじ)み、そんな太陽の真下にあってさえ、頰は少しく青褪(あおざ)めていた。

 修正は、僕の意識を擦り抜け、無意識にそっと滑り込むような方法で、極めて巧みになされていた。並べて見比べれば、なぜこれほどの改変に気づけなかったのかと不可解だったが、恐らく、写真として見栄えが向上したことに気を取られて、人物の顔かたちにまで変造が及んでいることに、注意が向かなかったのだった。実際、青空はより冴(さ)え、緑は一層、鮮烈に染め直されていた。

 母は、一言で言うと、あまり楽しそうに見えず、その事実が、僕の心に打撃を与えた。

 しかし、しばらく眺めていると、その記号めいた幸福感には回収され得ない、複雑な笑みの陰りこそは、僕が日々、接していた母の顔だという感じがしてきた。

 どちらがより懐かしいかと言えば、無加工の方だった。
「本当にきれいね。水が澄んで。池の畔(ほとり)のどこかに、ナルキッソスがしゃがんでいそうなくらい。覗(のぞ)き込んだら、お母さんの顔も、ほら。」

 修正された母は、とてもそんなことを――母の中では、生涯、ほとんど役に立つ場所を得られなかったそんなペダントリーが、捨てることも人に譲ることも出来ないまま溜(た)まっていた――言いそうにはなかった。

 あの時、鏡のように正直な水面(みなも)に、母は自分のどんな顔を見ていたのだろうか。
 
 野崎は確かに、最初の面会で、「理想化」について説明していた。僕はそれを呆(あき)れながら聞いたが、母のVF(ヴァーチャル・フィギュア)が、この表情の陰翳(いんえい)まで留(とど)めているべきかどうかは、悩ましかった。

 僕は一体、何を求めているのだろう?

平野氏のメッセージ

私たちの生を、さながら肯定する思想を考え続けています。主人公は、愛する母親を亡くしたあと、仮想現実によって再現された母親と生活することになります。その過程で見えてくる母の本心と、自分の心の変化が主題です。乞うご期待!

平野啓一郎(ひらの・けいいちろう)プロフィール

 1975年、愛知県蒲郡市生まれ、北九州市育ち。東京都在住。京都大在学中の99年、デビュー作「日蝕」で芥川賞。「ある男」(読売文学賞)など。「マチネの終わりに」(渡辺淳一文学賞)は福山雅治さん、石田ゆり子さん共演で映画化され、11月1日に公開予定。

マチネの終わりにの公式サイト

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