平野啓一郎 「本心」 連載第30回 第三章 再会

西日本新聞 文化面

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画・菅実花

 所詮(しょせん)は、本物の母を再現できるわけではない。期待しているのは、ただ、僕自身の孤独が慰められることだった。

 実際、僕は母のVF(ヴァーチャル・フィギュア)のモデルを、死の四年前に設定していた。母が、安楽死の願望を口にしたのは、三年前のことだった。以来、僕たちの関係は、どんな平穏な時にも一種の軋(きし)みを孕(はら)んでいて、思いつめた表情の母が、「時間がないから。……」と、またその話を蒸し返す度に、僕は拒絶的な態度を取った。そして、それが辛(つら)くて、他の時間には、かつてなく濃(こま)やかな愛情を母に示そうとしていた。

 僕は、そんな風になる前の、屈託のない表情の母を懐かしんでいた。が、実際には、既にこの裏磐梯への旅行の時点で、母の心には、自分の人生の終え方について、何かしら萌芽(ほうが)らしき考えがあったのかもしれない。

 母は、「もう十分生きた」と言った。そして、「今はすごく幸せなの」と。

 しかし、幸せだから死にたいという考えには、蕾(つぼみ)が花を咲かせ、やがて果実から種が獲(と)れるといった自然さがまるでなかった。その言葉を本心と納得させる材料は、死の恐怖を想像すれば、あまりに乏しかった。

 母は当たり前に、僕の無理解を若さのせいに帰した。それは、不味(まず)いやり方だった。僕は取り残されること、母に死んで欲しくないこと、母の思想に健康でないものを感じたこと、……と、様々な意味で傷ついていたが、更(さら)にそこに自尊心の傷つくことが加わったのだから。
 
 僕を産むまで、母は安定した高い賃金の会社で、正社員として働いていた。それは、“ロスジェネ”と称されていたあの世代では、羨望(せんぼう)されるべき生活だった。

 母が父と出会ったのは、東日本大震災時のボランティアを通じてだという。

 二人は事実婚をし、僕を儲(もう)けたが、三年後に関係を解消している。籍を入れなかったのは、個人の生を国家に管理されたくないという、父の思想によるもので、母もそれに同意したというが、昔から僕にはよく理解できないことの一つだった。

 以後、母は父との連絡を一切断っているので、僕は、父の顔を写真でしか知らない。

平野氏のメッセージ

私たちの生を、さながら肯定する思想を考え続けています。主人公は、愛する母親を亡くしたあと、仮想現実によって再現された母親と生活することになります。その過程で見えてくる母の本心と、自分の心の変化が主題です。乞うご期待!

平野啓一郎(ひらの・けいいちろう)プロフィール

 1975年、愛知県蒲郡市生まれ、北九州市育ち。東京都在住。京都大在学中の99年、デビュー作「日蝕」で芥川賞。「ある男」(読売文学賞)など。「マチネの終わりに」(渡辺淳一文学賞)は福山雅治さん、石田ゆり子さん共演で映画化され、11月1日に公開予定。

マチネの終わりにの公式サイト

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