アイドル編<437>田中久美(中)

西日本新聞 夕刊

本社を訪れた歌手・田中久美=1984年3月22日、福岡市・天神 拡大

本社を訪れた歌手・田中久美=1984年3月22日、福岡市・天神

 「どうなってしまうのだろう。家に帰りたくて、寮でよく泣いていました」 

 1983年、ホリプロの「タレントスカウトキャラバン」で優勝し、突然、福岡県築上町から上京した田中久美は不安でいっぱいだった。15歳の少女にとっては当然の感情だろう。一方で半年後のデビューに向けてあわただしく日々が過ぎていく。田中は84年に「スリリング」でデビューした。

 <夢かしら ひとときの気まぐれね You and me 凍りつく胸の中 溶けてゆく あなたへと…> 

 作詞は三浦徳子、作曲は小田裕一郎だ。三浦と小田のコンビは松田聖子の「青い珊瑚礁(さんごしょう)」などを手掛け、70年代後半から80年代にかけて女性アイドル歌手の全盛時代を支えた。 

 「私の好きだった聖子さんの歌を作った人たちだったのでうれしかった」 

 もちろん、田中本人が歌作りやステージのファッションなどに口をはさむことはできない。所属のホリプロなど周辺のスタッフが描くアイドル像に合わせていかなくてはいけない。

 テレビの歌番組で「目指す歌手は?」と問われれば次のように答えが用意されていた。 

 「山口百恵さんのような存在感のある歌手になりたい」 

 「好きな色は?」と聞かれれば「水色」と答える。

 「本当は黒色が好きだったんですが」 

   ×    ×

 テレビ出演、雑誌の取材、全国キャンペーン…。編入した堀越高(東京)に通いながら、アイドル歌手として寮の置かれたホワイトボードにその日のスケジュールを書き込む。

 「朝一番の飛行機に乗り、夜遅く帰ってくる。とにかく忙しかった」

 ビデオに録画したテレビで歌う自分の姿を見ては「不思議だなあ」と思った。アイドルとしての現実感に距離や戸惑いを覚えた。

 ほっとする時間は時折、アイドル仲間の岡田有希子、長山洋子、荻野目洋子たちと、素顔でとりとめもない話をするときだった。

 「スリリング」に続いてシングル盤「カリッと夏」「少女の中の悪魔」を、三浦、小田コンビによるアルバム「Kumi~地中海DOLL」をリリースした。「少女の中の悪魔」は銀座音楽祭で銀賞を受賞した。84年は濃密な1年だった。

 =敬称略 

 (田代俊一郎)

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