楽しくてこそ学び 四宮 淳平

西日本新聞 オピニオン面 四宮 淳平

 新しい知識を得たり、発見や驚きがあったりする学びは本来、面白くて楽しいもの。それでは、子どもはいつ「勉強嫌い」になるのだろう。福岡市のある小学2年の女児は、こんな理由からだった。

 入学する前、自宅などでは遊びと学びが一緒だった。歌を口ずさみ、本を読み、絵を描く中で言葉や字を覚えた。小学生になると、そうした学習環境が一変した。

 覚えていた漢字をノートに書くと、担任に「まだ習っていない字は使っちゃ駄目」と注意された。興味が湧いた片仮名をノートに練習し、胸を高鳴らせて担任に見せると「今、習っている単元とは違う」ととがめられた。

 女児は泣きながら、学校に行くのを嫌がるようになった。自宅でも外出先でもよく口ずさむ歌も、学校では一切歌わない。音程のずれを指摘されるのが嫌なのだという。

 学ぶ楽しみは失われた。「日々を楽しむ余裕もなく、親子ともども苦しかった」。母親は今も胸を痛める。

 学校の画一的な指導により、勉強や宿題を苦痛に感じる子どもは確実にいる。9月24日付朝刊で掲載した「手書きだった筆算の横線を、定規で引き直すよう担任に命じられた」という話題もまた、そんな指導の一つだろう。

 定規で引くことが悪いとは私は思わない。多くの教師が取り入れており、学習効果も期待できるのだろう。ただ、この話題に限らず、子どもや保護者が意義を理解していないため指導に反発し、教師も理由を語らないというケースは少なくない。

 背景には、学校現場の疲弊もあるように映る。全国学力テストの結果を出すための効率的な指導法の強化、理不尽な要求を繰り返す「モンスターペアレント」の存在、ベテランの大量退職に加えて新任の大量採用…。

 挙げればきりがないほどの変化が学校現場に押し寄せている。子どもと個別に接する時間さえ、ままならない教師もいるのだろう。

 冒頭の女児は2年生になり、新担任から言われた。「宿題がつらかったら、やらなくていいよ。楽しく学校に来てくれたら」。女児は自らが考えた学習も評価され、学ぶ意欲を取り戻した。担任も「宿題をしなさい」と注意する役割が軽減され、女児の成長を目の当たりにする喜びを感じたはずだと想像する。

 楽しくてこそ学び-。その体験こそが、今求められている「自らの意志で学び続ける力」の原動力になるはずだ。画一的な勉強は既に、限界を迎えている。

 (社会部)

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