中村哲医師とワトソン 上別府 保慶

西日本新聞 オピニオン面

 名探偵シャーロック・ホームズが初めて登場する小説「緋色(ひいろ)の研究」が、英国の雑誌に載ったのは1887年のことだった。意外にもさほど評判にはならなかったが、この作品には、ホームズが相棒を組むワトソンとの印象的な出会いが描かれている。

 ホームズは握手するなり「アフガニスタンからお帰りになりましたね」と言い当ててワトソンを驚かせる。日焼けや顔のやつれ、負傷の痕などを素早く観察し、第2次アフガニスタン戦争(1878~80年)に従軍した軍医だと推理したのだ。さらに収容先の病院で感染症(腸チフス)にかかったことまで見破った。

 あるいはホームズでなくとも、新聞をよく読む紳士ならば、これに似た推理はできただろう。インドを領有する当時の英国は、帝政ロシアの南下を警戒し、中間にあるアフガニスタンへ先手を打つ形で繰り返し侵攻しては、大きな犠牲を払った。

 中でも有名なのは第1次アフガニスタン戦争(1838~42年)の際に、カブールから撤退する1万6千人の兵士と軍属が全滅した事件だ。生き残った軍医ブライトンは、惨状を伝えさせるためにあえて助命されたとされる。ホームズの物語を書いたコナン・ドイルが、ワトソンの人物像の参考にした可能性はある。

 英国は20世紀に入ってからも第3次アフガニスタン戦争(1919年)を戦ったのを最後に、この地から手を引いた。さまざまな民族が内部では対立しながらも、外からの介入には徹底抗戦する強じんさにすっかり懲りたのだ。

 ところが、教訓は他国には伝わらなかった。1978年にはソ連がアフガニスタンの混乱に介入。膨大な人命と軍事費をつぎ込み、ソ連崩壊へつながった。この戦争をハリウッドが描いた「ランボー3/怒りのアフガン」はベトナム帰還兵のランボーが現地のゲリラに味方してソ連軍をやっつけるという、後で思えばなんとも皮肉な映画だった。

 というのも、米国自らが2001年の米中枢同時テロ事件に端を発してアフガニスタンへ侵攻。かつてゲリラに供与した武器で手痛いしっぺ返しを食ったからだ。

 アフガニスタンには、戦争が戦争を生む連鎖が19世紀の帝国主義の時代からある。

 そんな場所での人道支援を評価され、福岡市の非政府組織「ペシャワール会」の中村哲医師(73)が、ガニ大統領から同国市民証を受けた。用水路建設などの地道な取り組みが人々の心に染みいった。武器なき戦いを続ける医師を、大統領は「最も勇敢な男」とたたえた。 (編集委員)

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