平野啓一郎 「本心」 連載第35回 第三章 再会

西日本新聞 文化面

 ソファを勧められ、僕はアイスコーヒーを注文した。

 テーブルの上には、既にヘッドセットが準備されている。僕が自宅に所有しているものとは違い、最新の軽量化されたものだが、その中に母がいるというのは、ほとんどお伽話(とぎばなし)めいていた。

 ロボットはすぐに飲み物を持ってきた。大きなグラスで、冷たく濡(ぬ)れていたが、人の手首を摑(つか)んでいるような感じがした。暑さだけでなく、やはり緊張のせいで、僕は酷(ひど)く喉が渇いていた。

 野崎は、
「たくさんの資料をご提供いただきましたので、とても助かりました。会っていただくのが楽しみです。もちろん、これはβ版ですが。」

 と歯切れ良く言ったが、顧客相手ではなく、友人と談笑している時にも、その認識に変わりはないのだろうと思わせるところが、彼女の口調の独特な魅力だった。

 それは、機械的に反復される決まり文句とも、或(ある)いは、素朴な率直さとも、それぞれに対極的なのだろう。というのも、こんな仕事をしていれば、嫌でも、人間らしさについての洞察が深まらずにはいられないはずなので。

 野崎は、やはり実感を疑わせない表情で、
「とても素敵(すてき)なお母様ですね。」

 と言葉を添えた。

 僕は正直に喜んだが、そこに微(かす)かに入り交じっている反発を、彼女が見越した上で、敢(あ)えて言っているのもわかった。
 
 簡単な説明を受けると、グローブを塡(は)めて、ヘッドセットを装着した。

 最初は小鳥のさえずりが聞こえる森林風の操作画面で、カンランシャのロゴがゆっくりと回っている。イヤフォン越しに、「Enter」というボタンを押すと、母と対面できると告げられた。
「クリックしてから、三秒、間があります。――その時間も、変更可能ですので、あとでご自由に設定してください。――没入感を増すために、そこで一旦(いったん)、目を閉じられることをお勧めします。一般的な仮想空間の利用と同じですので、よくご存じですよね?」

 僕は、「……はい、」とだけ頷(うなず)いた。

平野氏のメッセージ

私たちの生を、さながら肯定する思想を考え続けています。主人公は、愛する母親を亡くしたあと、仮想現実によって再現された母親と生活することになります。その過程で見えてくる母の本心と、自分の心の変化が主題です。乞うご期待!

平野啓一郎(ひらの・けいいちろう)プロフィール

 1975年、愛知県蒲郡市生まれ、北九州市育ち。東京都在住。京都大在学中の99年、デビュー作「日蝕」で芥川賞。「ある男」(読売文学賞)など。「マチネの終わりに」(渡辺淳一文学賞)は福山雅治さん、石田ゆり子さん共演で映画化され、11月1日に公開予定。

マチネの終わりにの公式サイト

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