被爆者家族 写真に刻む 広島の堂畝さん 長崎でも撮影 体験継承願い

西日本新聞 夕刊 徳増 瑛子

写真が平和継承のきっかけになると考える堂畝紘子さん 拡大

写真が平和継承のきっかけになると考える堂畝紘子さん

浦上天主堂で撮影した長崎の被爆者と家族(堂畝紘子さん提供) 原爆ドーム前で写真に納まる広島の被爆者と家族(堂畝紘子さん提供)

 広島市在住の写真家、堂畝(どううね)紘子さん(37)は被爆者の家族写真を撮り続けている。被爆者本人から子、孫、ひ孫へ…。被爆者が生き抜いたことで、家族の系譜は続いている。写真に触れてそう感じてもらうことが、被爆体験や平和の継承につながると信じているからだ。

 写真のモデルは知人の紹介だったり、インターネットの応募だったり。ただ約束の日が近づくと、決まってキャンセルの連絡がある。その確率は70%だ。被爆者本人は撮影を嫌がり、その子どもの2世は「子や孫まで被爆○世と呼ばせたくない」と拒む。

 自分自身が被爆者だと名乗れる人は決して多くはない。2世であることを周囲に知られ、学校でいじめを受けた人もいる。被爆の傷は言い表せぬほどに深い。

 自らの意思でレンズに顔を向けてくれる人もいる。広島県内に住む被爆3世、住田裕美さん(32)は2年前に祖母と2人で写った。8カ月後に祖母が亡くなり、今度は遺影を持って1人で写った。「おばあちゃんが生きてくれたから自分がいた。一緒に過ごした時間を残したかった」

 被爆から70年がたった2015年以降、広島や長崎での撮影は80回に及ぶ。17年、長崎市の3世中村俊介さん(43)一家は被爆者の祖母フミ子さん(95)と、日曜に家族で通った浦上天主堂でカメラに納まった。写真は自宅のリビングの壁に飾っている。祖母は入院しているが、中村さんは「写真を見て、子どもとよく祖母の話題になる」と言う。

 家族全員がそろわなくても、若い世代の3世だけで撮ることもある。それでもいいと感じるのは、「なぜ、(被爆者や2世と)一緒に撮れなかったのかを考える機会になる」と思うからだ。

 今年も8月6日は広島で、9日は長崎で式典に参列し、被爆遺構を巡った。街並みが変化するにつれ、原爆の痕跡は消えていく。年老いていく被爆者と重ねながら、慈しむようにシャッターを切る。

 「被爆者と一緒に写真が撮れる時間は限られている」。写真が持つ力、被爆体験の継承につながることを信じて、これからも撮り続ける。 (徳増瑛子)

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