BSE、大水害…試練越え30周年 飯塚市の居酒屋「三拍子」

西日本新聞 筑豊版 大塚 壮

水害の時、店内に浮かんでいたという大型冷蔵庫と同型機の前でもつ鍋を手にする山村隆さん 拡大

水害の時、店内に浮かんでいたという大型冷蔵庫と同型機の前でもつ鍋を手にする山村隆さん

 飯塚市飯塚の居酒屋「三拍子」が今月、開店30周年を迎える。バブル経済期に「飯塚で初の本格もつ鍋専門店」をうたいオープン。BSE(牛海綿状脳症、狂牛病)騒動や飯塚の水害など次々と押し寄せる試練を乗り越え、飯塚の人気店の地位を確立した。「お客さんと従業員に恵まれた」と店主の山村隆さん(57)は22~24日、感謝の「生ビール30円」で客を迎える。

 学生時代、数々の飲食店でアルバイトを経験した山村さんが店を開いたのは、1989年10月24日。実家が福智町で養豚業をしていたため、ホルモンのうまさを知っていたのが大きな理由。

 空前のもつ鍋ブームに乗り、店は繁盛。次々と同業店も現れた。

 ところが、2001年にBSE騒動が発生。「牛肉は危ない」という風評が広まり、客足が止まる。

 家族と従業員の生活への責任を背に、何とか盛り返していた03年7月、「7・19飯塚大水害」に見舞われた。

 稼ぎ時の金曜日の夜だった。滝を思わせる雨が降り、入居するビルの前はすぐに池のようになり、店内に水が押し寄せた。危険を察知した客はすぐに帰宅。従業員を帰した時、店内の水位はひざまで来ていた。

 ビルの階段に避難し、未明に店に戻ると、停電で真っ暗な中、胸元まで上がった水の中で200キロある業務用の大型冷蔵庫がぷかぷか浮いていた。

 自衛隊のボートに救助され歩いて帰宅すると、家族から「魂が抜けたような顔をしている」と言われた。

   ◇  ◇  ◇

 もう、だめだと心が折れそうになった時、常連客だった内装業者が「俺が何とかする。頑張って」と動いてくれた。2週間後、店を開けた。

 水害の後、再開を断念した店が少なくない中、次の手を考えた。

 その一つが北海道から魚を空輸する仕入れルートを築いたこと。ライバル店と違う刺し身を出すようにした。ブームが去った後、もつ鍋も味を多様化した。

 居酒屋を長く続ける上で、心掛けていることがある。まず、学生を中心にしたアルバイトを大事にする。失敗しても怒らず、丁寧に仕事を教える。人手不足に悩む店が多い中、卒業する学生が後輩を紹介する形で続き、30年間で計約200人を雇用した。かつて働いたアルバイト従業員のうち、4人が独立して自分の店を持った。

 また、今でも月に一つは新しい料理を考える。常連客に出し、評判が良ければメニューに加え、人気がなくなった品と替える「スクラップ・アンド・ビルド」を繰り返している。

 現在、飯塚伝説ホルモン促進会の副会長を務める山村さん。「カリスマ美容家」IKKOさんとの幼いころからの交流を描いた本紙筑豊版の連載「筑豊の思い出 かずくんとボク」の執筆や、福岡ソフトバンクホークスの応援歌作曲など多彩な才能を発揮中。店名の由来の一つに「高くて、まずくて、無愛想」な店にならないよう自分に込めた戒めがある。「出会いを大事にまだまだ頑張ります」と話している。3日間は何杯飲んでも1杯30円。(大塚壮)

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