平野啓一郎 「本心」 連載第38回 第三章 再会

西日本新聞 文化面

 ヘッドセットを外すと、体の移動がないまま、また元の応接室に戻っていることのふしぎを感じた。

 あまり夢中になったことはないが、仮想空間には、僕も折々、出入りしている。しかし、他人に見られる場所に身を置いたまま、自宅で〈母〉と会うという状況は、自室で気晴らしに冒険的な世界に乗り込んでいくのとは、まるで違っていた。

「大丈夫ですか?」

 野崎は、アトラクションを終えたあとのテーマパークの係員のように、僕の顔を覗(のぞ)き込んだ。

 頷(うなず)くと、

「いかがでしたか?」

 と尋ねた。

「……よくできてます。まだ少しだけなので、わかりませんが。……」

「皆さん、最初は戸惑われますが、是非(ぜひ)、自宅でゆっくり会話をしてみてください。サポートはオンラインでいつでも可能ですので。」

 改めてソファに座ると、野崎から使用上の注意を受けた。免責条項の確認といった意味合いが強かった。

 僕は、野崎は単なる受付係で、技術者は別にいるものだと思っていたが、実際は、「担当者」である彼女が、アシスタントと一緒に、母のVF(ヴァーチャル・フィギュア)を製作したらしかった。

 彼女は、母の交友関係を見事に整理し、その対人関係毎(ごと)の人格の差異を、口調や発言内容、やりとりの頻度から分析して、個々の人格を三十年間分、図表にしていた。

「何年ごとと、機械的に分類するのは効果的ではないですので、お母様の人格の構成に大きな変化があった時を区切りとして、時期ごとに円グラフ化しています。朔也(さくや)さんとの関係が最も重要なのは、大前提です。メールの頻度は、同居しているので少ないですが、そこは考慮しています。例えば、このVFが目標にしている五年前のお母様の対人関係がこちらです。旅館で一緒に働いていた三好(みよし)さん、主治医の富田先生、……といった方たちと頻繁にやりとりされています。そのそれぞれの相手に応じた人格の構成比率がこうなってます。――朔也さんと一緒の時の人格が大半を占めていて、この時、お母様は最も寛(くつろ)いでらっしゃいます。“主人格”と呼びます。三好さんという人格が、第二位の人格です。ご存じですか? 若い方のようですが。」

平野氏のメッセージ

私たちの生を、さながら肯定する思想を考え続けています。主人公は、愛する母親を亡くしたあと、仮想現実によって再現された母親と生活することになります。その過程で見えてくる母の本心と、自分の心の変化が主題です。乞うご期待!

平野啓一郎(ひらの・けいいちろう)プロフィール

 1975年、愛知県蒲郡市生まれ、北九州市育ち。東京都在住。京都大在学中の99年、デビュー作「日蝕」で芥川賞。「ある男」(読売文学賞)など。「マチネの終わりに」(渡辺淳一文学賞)は福山雅治さん、石田ゆり子さん共演で映画化され、11月1日に公開予定。

マチネの終わりにの公式サイト

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