<異例の閉校延期>(5)中学校最後の日 卒業生の記者が見た閉校式、1年の猶予が生んだ効果は

西日本新聞

 3月19日、母校の中学校に私はいた。海辺に立つ大分県臼杵市の豊洋中学校の閉校式を取材するためだ。過疎化や少子化が進み、年度末のこの時期、各地で閉校式が行われたという寂しいニュースを聞く。ただ、豊洋中が異なるのは、生徒や保護者の声を受け、予定よりも閉校が1年延期されたという点だ。“延命期間”の1年が生んだ効果について、母校最後の日に考えてみた。(三重野諭)

 臼杵市教育委員会によると、当初の閉校予定は2016年3月末だった。市教委が閉校方針を示した14年当時の1年生(今年の3年生)は、わずか11人。小規模校は、社会性や競い合いの確保が難しくなるとして、市教委は当時の1年生が3年生に進級するのに伴い、隣接する中学校に通わせる考えだった。

 しかし、保護者からは、転校させずに今の学校を卒業させたいとの要望が寄せられた。それを受け、「当事者に話を聞かずには判断できない」と、市教育長らが生徒との面談を実施。保護者を加えず、生徒と市教委が直接向き合う異例の話し合いの末、「今の学校を卒業したい」との声を受け止め、1年の閉校延期を決断していた。

※閉校延期の経緯や生徒の変化についてはこちら

■埋め尽くされた体育館、弁当足りずうれしい悲鳴■

 迎えた閉校式当日。会場となった体育館には、私が見たことのない光景があった。住民や卒業生、元教諭など誰でも参加自由ではあったが、午前10時半の開始時には300席以上が埋まり、ピーク時には500人近い人で埋め尽くされていた。

 午前は市教委主催、午後は住民らによる実行委主催の2部制だったが、式典という厳かな雰囲気はほとんどない。フォーマルな服装よりも、普段着の地域住民が圧倒的に多かったからだ。「久しぶり-、元気しちょった?」「来てくれたんやー」。入り口で抱き合ったりハイタッチしたりして、再会を喜ぶ姿。会場に並べた椅子がたちまち足りなくなり、参加者自らがパイプ椅子を開いて並べ出す。茶髪や金髪にきっちりスーツを来た、成人式のような一団もいた。

 「今来たん? 遅ぇなあ、来んの」。式が始まってからも、懐かしい顔を見つけては手を振り合う姿が見られた。来賓あいさつの合間はおしゃべりタイム。さながら大規模な同窓会のような空気だ。最後の卒業生が映像で“レジェンド”として紹介されたが、校歌を絶叫する姿が上映され、そのひどさに失笑が漏れる。「音楽の先生はおらんかったんやろうな」。住民が面白おかしく解説する。

 地区の代表がそれぞれ伝統の踊りを披露、元教諭たちは太鼓をたたく。式というよりは、地域手作りの祭りという印象だ。学校前の海岸にはドラム缶で海水を沸かせた「塩湯」も出現していた。

【写真:中学校前の浜辺に現れた「塩湯」につかる子どもたち】

 準備に関わった実行委員会の誤算は、参加者向けの昼食だった。「350食で足りるっち思ってたんやけどな…うれしい悲鳴やわ」。弁当が足りず、おにぎりを慌てて買い出しに。「足りるな?」「お茶はどげぇな」。実行委員や教諭らは休む暇もなく、対応に追われていた。

 この1年、学校で困ったことを生徒や教諭に聞くと、その多くが「人手不足」を挙げていた。「体育祭や文化祭、どれだけ働いても準備が終わらなかった」「掃除とか委員会とか、やること多すぎ」。生徒が自分たちで選んだこととはいえ、本当にきつかったという。行事のたびにボランティア役を果たしたのが、住民や保護者、市教委や退職した校長ら、周りの大人たちだった。

■頼りっぱなしの1年間■

 閉校式も同様、最後まで頼りっぱなしだった。朝からずっと交通整理や入場案内に追われる住民や保護者。前日の土曜日には市教委も加勢して朝から総出で会場設営。前々日には、芝刈りに精を出す地域のおじさんたちの姿も見た。「ちったぁ美しくしちょかんとなあ。品が悪いわ」。日頃から通学路の草刈りなどをしている男性は笑いながら話してくれたが、学校にとってはどれほど心強かっただろうか。

 大人たちの姿は、生徒にも伝わっていた。「地域の方に迷惑をかけてしまった。行事を全部手伝ってもらった」「地域の支えを本当に実感できた」。最後の1年を振り返り、感謝の言葉が相次いだ。私が中学校のころも地域の助けはあったはずだが、あまり認識はしていなかった。大きな違いだ。

 教職員も同じ思いだった。校区在住だが、1年前まで母校に赴任したことがなかったという小坂一弘校長(58)。地域との調整役を務めた。「人との出会いを通じて、自分が知らなかった古里がよく分かった。生徒たち以上に、私たちが地域の良さを知ることができた」との言葉には実感がこもっていた。

■11人の気持ちに打たれた住民■

 土日をつぶし、仕事の後や合間に学校の手伝いをする。私だったら、正直言って面倒だ。それでも、住民ら大人を動かした力は何なのか。「11人で残りたいと言ってくれてうれしかった」「豊洋を卒業したいという気持ちに打たれた」「残ってくれてありがとう」。聞けたのは生徒への感謝の声だった。

 ボランティアを率先していた佐藤信哉さん(62)は「この1年、学校に何でも協力しようという意識が高くなった。地域に支援の輪が広がった。小規模校の方が良いのか、悪いのか。教育効果という意味では難しい。とはいえ、学校の未来を考えることは地域の未来を考えることと同じでしょう。学校が元気やと、地域も元気ですわ」

 「1年間、(閉校を)スローでいった分が良かったかなあ」。式の前々日、生徒に地元産のそば団子を振る舞った梅田誠さん(70)。「学校に来る機会も多かったし、生徒にも『頑張れ』っち言えたし。子どもたちと会うだけでも活気になる。次は小学校の閉校かもしれん。中学校で地域が関わったこと、駄目やったことを、小学校にも生かさんと」。閉校を防ぐ、あるいは少しでも遅らせるために、豊洋中での経験を生かしたい。そんな切実な願いもあった。

 「本当は別の中学に行った方が、本人たちのためになったかもしれんな。1年生に難しい決断をさせてしまったなぁ」。申し訳なさそうに語ったOBも、式典をボランティアとして支えていた。いろんな思いを抱えながら、地域は学校を支えていた。

■望んで最後の卒業生になったわけじゃない■

 卒業生の尾崎華奈さん(15)は「最後の卒業生になることは、一番の望みだったわけじゃない。本当は閉校しないのが良かった。でも、最後の卒業生になったからこそ、(気持ちの面で)頑張れた」と話した。そんな姿を多くの住民が見ていた。「抽象的な表現やけどな、子どもたちがよく頑張ったと思うよ。だから、閉校式にこれだけの人が集まってるんよ」。校区の下ノ江地区会長、渡辺博道さん(80)はしみじみと語った。

 閉校式での3年生全員での出番は、合唱だけだった。決して上手とは言えない合唱だったが(昨年11月の文化祭よりはうまくなっていた)、大きな拍手が送られた。この1年の11人をたたえる意味を込めた人もいたのではないだろうか。

【写真:閉校式当日の豊洋中学校。海と山に囲まれている(パノラマ撮影)】

■この1年を特別にしないために■

 式では、貴重な立場の人にも話が聞けた。山岡奈々子さん(27)。大阪出身だが、市の地域おこし協力隊員になったのを機に、美術の専門教員のいない豊洋中で2年間、学習サポーターを務めたという。“よそ者”でありながら“身内”でもある、という視点でこの1年を見守ってきた。
 
 「この1年、とことんイベントに参加しましたが、周囲の目やメディアの取材も多く、生徒はあらゆる人から見られてかつてない経験をしたと思います。その意味で、生徒は大分で一番恵まれた存在だったのではないでしょうか」

 「最後というキーワードは人を結びつけますよね。この1年は地域、生徒、先生たちが団結力を見せたと思います。学校が地域の核、というのは共通している思いでした。地域の意識も変わったと感じました。ただ、その意識が、今後も続くかはまだ分かりませんが」

 山岡さんの言うように、生徒、教職員、住民、行政のそれぞれが支え合い、認め合えたことが閉校を延期して“ソフトランディング”させた最大の効果だったのだろう。今後は、せっかく高まった関係者の意識をどうつないでいくか。校区を離れた身としては恐縮だが、この1年を特別な出来事にしてほしくない、とも感じた。

 中学校が閉校した後も、過疎化や少子化は地域をむしばみ続ける。一つの課題は、校舎や跡地の活用だ。「2年以上前に閉校は決まっていたので、もっと早く活用を論議すべきだった」と語る人もいた。確かに、コスト面も含めて十分な論議は不可欠だろう。民間の売却先を探すのも一つの策で、その方向になれば行政の働きが頼りだ。

 いずれにせよ、この1年と同じように、今後も地域のために一生懸命になる大人の姿を見せ続けてほしい。子どもたちはきっと見ている。

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