ユーチューブなぜ成長? アップルの始まりは? 共同創業者が福岡で語った成功体験と起業家へのアドバイス

西日本新聞

 ユーチューブの共同創業者チャド・ハーリー氏と、アップル共同創業者のスティーブ・ウォズニアック氏が6日、福岡市のアクロス福岡に新たにオープンしたコワーキングスペース「fabbit Global Gateway」で講演した。ともに福岡市を訪れたのは初めて。超満員の会場で語った創業のストーリーや後進への助言など、東京や大阪にもネット中継された講演の一部をレポートする。

創業1年半後の売却価格は1850億円 チャド・ハーリー氏
 大学を卒業して、PayPal(ペイパル=オンライン決済サービスの会社)がわずか10人の時に入社した。ドットコムバブルの時だった。eBay(イーベイ=ECの会社)に売却されるまでが2年半ぐらいかな。売却されたときの従業員は500人ぐらい。イーベイは数千人、大手企業だった。

 2年ぐらい休みをとって次に何をやりたいか考えた。ペイパルで(一緒に働いた)スティーブ・チェンと再会した。彼はフェイスブックにいたけど、ユーチューブの起業に誘った。

 当時、すでに画像の共有サービスはあったが、動画共有サービスはなかった。動画のプラットフォームを作ろうと、ホワイトボードにスケッチした。ビデオプレイヤーやコメント機能とか、関連動画を表示するとか、いろんなアイデアを出しあった。「人生の大半の時間を動画で台無しにすることができるね」なんて話してた。

 Windows Media PlayerやQuickTime、動画プレーヤーはいろいろあるけど、シームレスなものがなかった。ただ98%のブラウザにはFlashがある。ダウンロードする必要がなく、シームレスに使えるという点が、ユーチューブが成長する理由になった。動画をメールで共有、ウエブに埋め込むこともできた。Slashdot(スラッシュドット=テック関連のニュースサイト)で注目を浴びたことも、成長を加速させた。

 資金調達はシリコンバレーのアイコン的な会社、Sequoia Capital(セコイアキャピタル)からだった。最初は収入ゼロで、赤字垂れ流し。ほとんどは給料に消えた。サーバーなどのインフラ代はそんなに高くなかったが、新規参入されないように「費用がかかる」とほらを吹いていた。

 重視したのは「成長」だ。アマゾンのような大企業でも最初は何年も赤字。利益よりも視聴回数を重視して、シェアを獲得した。最初は「1日100万ビューあればすばらしい」と思っていたが、簡単に到達した。伸びても1日3千万ビューだと思ってたが、インフラを整えると、やすやすと超えた。今は一日50億ビューになっている。

 グーグルからは最初は広告のパートナーシップの話があり、関係ができていたが、2億ドル(約220億円)の買収オファーが来たときは拒否した。上場したいと思っていたし、売却するとしても、もっと良いものを作ってからだと思っていた。

 起業1年半後にグーグルに売却した価格は16億5000万ドル(約1850億円)。難しい決断だった。私たちは67人しかいなかった。もっとインフラや人が必要だった。売却が生存する唯一の道だと思った。

 グーグルによる買収の後、コミュニティーが生まれた。ユーチューバ−が表現する場ができて、彼らが所得を得るようになった。テレビや映画とも違う、補完するようなコンテンツができた。今はスマホやテレビ、ビデオ、映画が時間を奪い合う競争をしている。既存のメディアにとって脅威になった。

 自分の成功は「運」。幸運だった。大半は失敗するけど、やってみなきゃ分からない。自分を疑ってはいけない。ユーチューブでは著作権の問題が発生したが、事前に予測できていたら、やらなかった。

 ユーチューブCEO退任後の今は投資に携わり、起業家を見つけて育てている。

【写真:ユーチューブの共同創業者、チャド・ハーリー氏】

 (会場から質問)有望視している分野は

 AR(拡張現実)を有望視している。実現できるとすれば、アップルだと思う。眼鏡(のようなデバイス)で、1日中スマホばかり見ていることから離れるように仕向けるんじゃないかと思う。スクリーンを1日中見てると、周囲のことから、かけ離れてしまうよ。

 (質問)起業家への助言は

 私はデザイナーから入ったので、ちょっと変かもしれないが、ロゴやネーミングから始めたい。ペイパルのロゴや、SpaceX(スペースX=宇宙関連のベンチャー)のロゴもつくった。

 ブランドに対するみんなの反応や、心のつながりを促すのが好き。自分の思考のプロセスも統合される。製品や課題も考えなければならないが、素晴らしい製品を作った後で「何て呼ぶ?」じゃ、やりづらいよね。

 (質問)日本ではスタートアップは多いが、米国のようなグローバル企業にはなってない。福岡市のような場所において、グローバルになるために大事な要素は

 小さくて機敏であること。起業時にはたくさんの意見が出てもだめ。大きなチームはコンセンサスが難しい。小さく始めること。

 ただ、スタートアップは多くの人と話すとサポートが得られる。アイデアを盗まれる心配があるかもしれないが、心を大きく持って、サービスや問題を共有する。

自分たちが欲しいと思うものを作ろう スティーブ・ウォズニアック氏
 父が電気のエンジニアだった。彼は価値観を押しつけることはせず、「自分自身で選ぶ」ことが必要だと言っていた。父を見習い、エンジニアになってみんなの生活を良くしたい、便利にしたいと思っていた。

 10歳で世界の別の面を見た。デジタルロジック。学術論文で1と0がコンピューター言語なのだと学んだ。高校でエレクトロニクスを学んで、大学の時は紙の上でコンピューターを設計。自分のコンピューターをつくることが夢だった。

【写真:アップル共同創業者のスティーブ・ウォズニアック氏】

 スティーブ・ジョブズが起業を持ちかけてきた当時、私は働いていたヒューレット・パッカード(HP)が好きだった。家族のように扱ってくれた。ただ、パソコンの製品案は5回却下された。それでジョブズと起業した。

 (PCの起源とされる)「アップルⅡ」は私の設計。ゲームがスクリーン上で動くものを作りたかった。そしてアップルⅡはゲームがカラー化された初のPC。そしてゲームがソフトウェアだったことが画期的だった。ジョブズは大金を稼ぐと確信していた。

 彼は楽しい時間を手放して、シリアスなビジネスマンになった。だがテクノロジーやソフトウェアは分らなかった。見た目や外観、世界へのプレゼンなどにたけていたので、彼はマーケティングをやった。

 私は経営に関わらなかった。エンジニアリングの専門家で、ラボがあればハッピーだった。作ったものをみんなに見てほしい。エンジニアにも設計を見てもらいたかった。

 アップルⅡは売れて、必要ないくらいお金持ちになった。あとは大学の学位を持たずにHPに入社したので、卒業式に行きたかった。飛行機の墜落事故にあって5週間記憶が飛んで、意識が戻ってからジョブズに電話して「大学の学位が欲しい」と伝えた。すでに自分は有名になりすぎていたので、偽名で大学に入学し、卒業した。

 その後、ボランティアで学校を訪れて、子どもたちに教えた。子どもたちを助けるのは、私にとって心からやりたいことだった。ビジネスで成功しても自分自身を変えてはいけないが、大金を得た多くの人は腐敗する。そんな人をたくさん見てきた。

 (会場から質問)起業家へのアドバイスを

 自分の経験から、スタートアップは苦戦や困難を楽しむときだ。自分や、自分たちが欲しいと思うものを作ろう。そして、エンジニアを巻き込もう。彼らは事業を完成させる方法を分かっている。あとは、投資家やお客、サプライヤーに対して正直であること。でっちあげないこと。

 私はテクノロジーに強制されたくない。部品を減らす、(操作の)ステップを減らすということを最初から考えていた。そういう方向に世の中は進んでいる。本とかレコードとか、形を持ったものが(電子化で)無くなっている。会社を起こす時は、トレンドが向かっている方向に行くべきだ。

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