ラジオゾンデ、集落を恐怖に 原爆の効果確認の計測器 住民ら目撃「不気味」

西日本新聞 長崎・佐世保版 山本 敦文

 1945年8月9日-。長崎の街を壊滅させた火球と、直後に立ち上がった不気味なキノコ雲の上空には3個の落下傘が漂っていた。落下傘には直径30センチ、長さ1・5メートルの銀色の円筒がつるされていた。米軍が原爆の効果を確認するため、ほぼ同時に投下した計測器。「ラジオゾンデ」と呼ばれる。

 諫早市飯盛町の嵩(だけ)集落。当時6歳だった野田正次郎さん(80)は自宅の庭から見上げた空に現れた落下傘に腰を抜かした。

 「そりゃあ、怖かったよ。不気味な円筒をぶら下げて上がったり下がったりしながら、こっちに近づいてくるんだから」

 落下傘は野田さんの自宅の上を通り過ぎ、近くのシイの木に引っ掛かった。集落は大騒ぎになり、筒の中に米兵が隠れていると思った住民たちは鎌や日本刀を手に取り囲んだ。爆発するかもしれないと、野田さんら子どもやお年寄りは近くの民家に避難したという。

 嵩集落は爆心地から東に約13・3キロ。長崎原爆戦災誌によると、ラジオゾンデはほかに、嵩集落に近い飯盛町の補伽(ほとぎ)(爆心地から12・5キロ)、長崎市川内町(同11・6キロ)にも落下し、翌日までに軍や警察が回収したという。

 ラジオゾンデは広島原爆でも投下され、ジュラルミン製の円筒の内部に気圧の変化を測定する装置や発信器などを備えていた。原爆と一緒にB29で運ばれ、長崎原爆が地上約500メートルで炸裂(さくれつ)した時は4千~5千メートルの地点に浮遊していたとみられる。米軍はグアム島の基地でラジオゾンデの信号を受信し、炸裂の成功を確認したらしい。

 回収されたラジオゾンデの一部は現在、長崎市の長崎原爆資料館に展示されている。原子爆弾そのものは現存しないため、ラジオゾンデは「あの日」の投下を示す唯一の物的資料と言える。

 被爆者には、被爆の直前に落下傘を見たという証言も少なくない。

 「米軍はまずラジオゾンデを空に漂わせ、直後に原爆を真下に落としたとみられます」と学芸員の奥野正太郎さん(33)。銀色に鈍く光る円筒やコイルが巻かれた部品は、米軍にとって原爆投下が冷徹な軍事作戦であり、新兵器の威力を試す実験でもあったことを物語っているようだ。

 資料館の展示パネルには「(ラジオゾンデの)落下地点は被爆当時の風向きを示す科学的な根拠となるものであり、長崎原爆の重要な史跡である」と説明されている。あの日、長崎上空には東への風が吹いていた。

 野田さんは落下傘が現れる前、集落の空気を震わせる「ドーン」というものすごい音を聞いた。やがて空が暗くなり、被爆地で巻き上げられたとみられるたくさんのごみが降って畑に積もったという。

 ラジオゾンデが見つかった嵩集落の山中には今、その事実を日本語や英語、中国語など4カ国語で伝える案内板が立てられている。(山本敦文)

長崎県の天気予報

PR

長崎 アクセスランキング

PR

注目のテーマ