「開運の町」で地名の謎探る 皇后石・延命…由来残る八幡古表神社 「地域の宝受け継ぐ」

西日本新聞 北九州版 浜口 妙華

 九州で一番小さい町として知られる吉富町。海と山に囲まれ、県最東端に位置する5・68平方キロメートルの町には、約6800人が暮らす。縁起がいい地名が多く、町は「開運の町」としてブランド化を図ろうとしている。その中でも、かつて「皇后石・延命」という不思議な地名の集落があったらしい。一体どんな所だったのか、どんな意味があるのか。地域を巡りながら謎に迫った。

 豊前支局に赴任してまだ1カ月半。自分一人では心もとないので、地域の歴史に精通している吉富歴史文化の会の太田栄会長(77)と町教育委員会教務課の永田裕久さん(46)に頼み込んで案内してもらった。

 まず向かったのは国指定重要文化財がある同町小犬丸の八幡古表(はちまんこひょう)神社。町を代表する神社で、千年以上の歴史があるとされる。皇后石を語る上でここは外せないらしい。

 神社から西へ約600メートル歩くと、近くに赤い鳥居が建てられている巨石が見えてきた。周囲4・6メートル、高さ1・2メートル。しめ縄が張られている。「この石が皇后石です」と永田さん。エノキとクスノキの間でじっと周囲を見守っているかのようなたたずまいを感じる。

 神社には神功皇后が祭られ、皇后が朝鮮半島に出兵する時に戦勝祈願をしたとされるのが皇后石だという。上部には約50センチの丸いくぼみがあり、「イボ神様」とも呼ばれる。永田さんは「たまった雨水を患部に付けるとイボが治るらしいよ」と話す。ユニークな言い伝えだ。

 吉富町北側の海岸付近はかつては島で、陸との距離は300メートルほどあった。潮が引くと陸続きになり、住民たちは島の南端に位置した八幡古表神社に歩いて参拝していたそうだ。江戸時代末期には埋め立てられて陸続きになったが、川の氾濫などがあった場合、神社は住民の避難場所にもなっていた。昭和初期の水害で流された鳥居を住民が探し出し、それを使って現在のしめ柱を建てたという。神社は昔も今も地域の心のよりどころなのだろう。

 それでは「延命」の由来は何だろうか。

 太田さんは「そりゃあ、延命地蔵だろうよ」と、あっさりと言い切った。皇后石よりさらに約350メートル、北西に向かう。辺りはほとんど畑だ。カヤが生い茂る中を進むと、高さ約2メートルの小さなお堂があった。

 この辺りは昭和末期頃まで吉富製薬(現在の田辺三菱製薬吉富工場)の社宅が立ち並び、銭湯や保育園、公園などがあったという。社宅も含めて「皇后石・延命」という名前の集落を形成していたが、その後、社宅が廃止された。人も減って自治会がなくなり、集落の名が消えたのだという。

 手を合わせた太田さんは「神々しいね」と、地蔵を見つめた。お堂にはお供え物なども置いてあり、変わらずにお参りする住民がいることも感じ取れた。

 幸子(こうじ)、今吉、小祝、喜連島(きつれしま)…。由来はさまざまだが、町内には縁起がいい地名がいくつもある。「築上郡吉富町」の町名は鎌倉時代にあった「吉富名(みょう)」に基づく。「吉(きち)と富を築き上げるとも見ることもできます」と永田さん。太田さんは「時代には繁栄も衰退もあるが、神社や地名など地域の“宝”は、これからも受け継いでいきたいね」と笑顔で話した。 (浜口妙華)

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