俳人諸九尼が結ぶ交流 最期の地・直方→生誕の地・田主丸 ファンが生家など巡る

西日本新聞 ふくおか版 宮原 勝彦

 久留米市田主丸町生まれで江戸時代中期に活躍した俳人諸九尼(しょきゅうに)(1714~81)を学ぼうと、直方市の市民講座「直方見聞塾」の塾生24人が17日、生誕地ゆかりの場所を巡った。直方は諸九尼最期の地で墓もある。訪れた塾生は、諸九尼を通じ結ばれた田主丸の人々と交流も深め、波乱の人生を送った俳人をしのんだ。

 諸九尼の本名は永松なみ。田主丸の庄屋の娘として生まれた。なみは庄屋永松万右衛門と結婚。30歳のころ、この地を訪れた元直方藩士の俳人有井湖白(こはく)=後の浮風(ふふう)=と恋に落ち、駆け落ちした。当時、駆け落ちは見つかれば死罪だった。

 その後、なみは大阪、京都に住み、俳句で頭角を現し、数冊の俳句集を出版。中国、九州に多くの弟子を持つ女性宗匠になった。松尾芭蕉に触れようと、58歳で京都-松島(宮城県)を往復する旅をして俳句紀行文「秋風の記」も著した。

 塾生はこの日、田主丸複合文化施設そよ風ホールにある「いつとなくほつれし笠(かさ)や秋の風」と刻まれた句碑や、生家などを巡った。なみと湖白が出会った田主丸町菅原の俳人宅も訪問。田主丸諸九尼顕彰会の柳瀬侑弘(いくひろ)会長(82)から「田主丸では駆け落ちの影響で顕彰が遅れた」との説明を受けた。

 最初の夫万右衛門の墓では、万右衛門から5代目の永松八州男さん(86)が案内役を務めた。八州男さんは「なみが万右衛門の元を去ったから俳人諸九尼が生まれた。私もファンです」と話した。当時は家の汚名でもあったはずの“事件”に対する子孫の率直な思いにも触れた塾生は、しみじみと聞き入っていた。

 見聞塾の篠原義一会長(85)は「直方では1984年に句碑が建立された。これからも両地区の協力で顕彰活動を続けていきたい」と話した。 (宮原勝彦)

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