1954ビキニ 被ばく漁船員の人生 岡村啓佐さんが写真集 過ち、繰り返させない

西日本新聞 くらし面 国崎 万智

 1954年、米国が太平洋・ビキニ環礁で行った一連の水爆実験で、マグロ漁船員らが被ばくした。その当事者や遺族を撮った写真集「NO NUKES ビキニの海は忘れない」が9月、日本自費出版文化賞の大賞を受賞。高知市の平和資料館副館長、岡村啓佐(けいすけ)さん(68)が、国から健康調査すらされず高齢になった証言者たちの表情を切り取った。日本や核保有国が核兵器禁止条約への批准に足踏みする中、顧みられなかった被害の実相を突き付ける。

 収録したのは、水爆実験の周辺海域で操業していた高知、東京、神奈川、静岡在住の元漁船員や遺族ら50人。遺族は、乗組員時代の父や夫の遺影を手にレンズを見詰める。

  〈食べるものを海水で洗い、汚染された魚を何も知らずに食べた。みんな放射能にやられて、帰ってきてから玄関で血を吐いて亡くなったとか、バタバタと若い仲間が亡くなっていった〉

 〈結婚を約束し、出航時に見送ってくれた彼女はこの間一度も顔を見せることがなかった。(中略)差別の目に耐え切れず京都に逃げた〉

  写真に添えられた証言は、核実験が乗組員らの下船後の日常に落とした影を映し出す。

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 岡村さんは高知県の中学を卒業後、埼玉県の製本会社を経て73年、帰郷した。広島市で被爆した元軍属の伯父が手帳申請など被爆者支援をしており、岡村さんは医療事務の仕事の傍ら、伯父の活動に同行した。

 戦後50年の95年、広島市の原水爆禁止世界大会で、被爆者の演説が会場にいた岡村さんの胸を突いた。「私たちに時間はない。若い人の力を貸してください」。自分には20代から趣味で始めたカメラがある。「被爆者を写真に残し伝えることが、僕にできる彼らの思いへの応え方だ」。4年後、高知県内の被爆者や水爆実験の被ばく者ら52人の写真集を完成させた。

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 ビキニ水爆実験で、日本政府は第五福竜丸以外の被ばくした漁船の乗組員たちの健康調査や治療をせず、54年12月にマグロの検査と廃棄処分を打ち切った。翌月、日米両政府は米国が200万ドルの見舞金を支払うことで政治決着。しかし日本政府は2014年、それまで「ない」と説明していた調査資料の一部を開示した。それを機に、周辺海域で操業していた同県内の元漁船員や遺族は16年「資料を故意に隠し、被災船員への健康調査や治療、救済をせず、生命や生活に深刻な損害を与えた」として国を相手取り提訴した。

 核実験の被害を記録しようと岡村さんら原告支援者は17年、元漁船員と遺族の証言集を発行した。その中で岡村さんは「被ばく者たちの息づかいと人生を、写真で表現したい」と今回の写真集の制作を決意する。

 つてを頼りにたどり着いた元漁船員の妻は「国が被ばくを隠さず早く検査していれば、夫を助けられたかもしれない…」と悔やんだ。夫は1976年に肝硬変と診断され、翌年にがんで死亡。40代だった。園児だった次男に、父親との思い出はない。被ばくとの因果関係は分からず、女性は「酒の飲ませ過ぎよ」という周囲の非難にも耐えた。岡村さんは「核がもたらした被害が闇に葬られたままでは、人の命をないがしろにする愚かな過ちが繰り返される」と確信した。

 ビキニ事件の国賠訴訟の一審判決は原告の請求を退けたものの、元乗組員らの被ばくの事実を認定した。訴訟は高裁で係争中で、12月に判決が出る見通しだ。

 レンズで捉えた被ばく者は全員80歳を超える。写真集の制作を始めた昨年1月以降、少なくとも5人が他界した。岡村さんは彼らに残された時間と闘いながら「NO NUKES(核は要らない)」と訴える。世界中の人に見てもらうため、学生ボランティアらの力を借り英訳も併記した。2200円。購入は平和資料館・草の家=088(875)1275。

 (国崎万智)

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